中村敬先生(淀川キリスト教病院附属クリニック皮膚科)
アトピー徒然草2
Vol.51(2003.03)
さて、ステロイド外用剤のデメリットに関して、大詰めが近づいております。 今まで述べてきたことは一般の教科書に記載されているようなことで、特に目新しいことはありません。
ステロイドを使いたくないという人が、これらを理由に拒絶しているわけではないと思います。 皮膚科学会がステロイド外用のデメリットとして掲げているのもこれらの副作用で、いかにこの副作用を抑えながらアトピーをコントロールするかを論じています。 それ故に話がかみ合わないのかもしれません。
では、真のデメリットとは何でしょうか?
湿疹に塗れば治まるけれど止めたらすぐ元にもどってしまう(この辺はまだいいでしょう)。 塗り続けているうちに効きが悪くなってきた(ちょっとまずいですね)。
ステロイドのランクを上げてもらったのに、湿疹が引かなくなってきた(いかん傾向です、いかんですよ)! 塗ってももう引かないので止めようとしたら汁だらけになって、止めるに止められなくなってる(これが大変なのです)!…
こうなった経験のある人、こうなることを聞いた人は、ステロイドを塗りたくないと思われることでしょう。 適切にステロイドを使わないからそうなるんだ、とおっしゃる偉い先生もおられます。 中途半端な使い方とは、本来キチンと塗れば痒みがおさまって、かきむしらなくてもすむはずの湿疹に対して、抑えきれてない状態で塗ることを止めるために、かきむしる状態が続き、湿疹の存在が次の湿疹を呼ぶという悪循環を生じ、やがて皮膚全体が分厚くなって、外用が効きにくい皮膚になり、ステロイドが相対的に効かなくなるため、もう効かない→自己中止→リバウンド→ステロイドでひどい目にあった、という評価が生まれます。
確かにこのパターンで悪くなっている人もおられますが、実際に皮膚科医のいうとおりに外用しても、破綻してしまっている人もおられるのです。 また、中途半端使用の人がキチンと塗り始めてコントロールされたとしても、その後に破綻しないという保証はないのです。
「リバウンド」「依存」「効果の減弱」「廃人になる」これらの本質と誤解について慎重にみていきたいと思います。 そして淀キリで治療を受けた方なら、この問題を考えるには、「真の治療」「アトピーの原因」という、避けて通ることのできない大命題にぶつからざるを得ないことにお気づきでしょう。
ステロイドの問題は副作用だけではないこと、メリットはデメリットにつながるという逆説的な意味も含めて、考えをまとめてみたいと思います。
Vol.52(2003.05)
さて、大詰めに近づいております。
ステロイドの残る問題点として「リバウンド」と「依存」があります。 まず「リバウンド」ですが、これはステロイドで抑えられていた症状がステロイドを中止することで元の状態に戻ること(当たり前)を指します。
しかし、一般的には、元の皮膚炎状態に戻る過程で本来の皮膚炎より重篤な状態になること、「離脱皮膚炎」を指すことが多い様です。 ここでは「離脱皮膚炎」という意味に解釈して考えてみます。 これは、次に出てくるステロイドによる「依存」の中の、「身体的(生物学的)依存」と関わります。 ステロイドをある期間継続して内服し、急に中止すると、副腎不全に似た離脱症状が起こります。
外用においても理論的には同様で、副腎を抑制する量の外用を続けて突然中止すると、離脱症状が生じる可能性があります。 しかし、一般的な副腎不全の様な症状は(前回も述べましたが)過去に経験したことはありません。
外用の場合は、急な中止により、激しい皮膚炎が生じることが多いです。 これについては、皮膚で作られている様々な免疫物質の関係が破綻した状態で、連鎖の悪循環に入り、重篤な、回復しにくい皮膚炎が生じるとされています。 そのために、皮膚科学会では、ステロイド外用を、専門家の指導なしに、いきなり中止してはいけないと、警告しています。
患者さんが、皮膚科医の指導なしに、ステロイドを勝手に中止することは極めて危険なため、我々もその点では賛成しています。 しかし、いくつか確認しなければならないことがあります。 ある期間ステロイドを外用して、それを中止する場合、必ずリバウンドは起こるのでしょうか? ステロイドの外用を拒否される患者さんの中にも、その理由の第一に、使い始めると長くかかるので、止める時に必ずリバウンドが起こって止められなくなるから、とおっしゃる方がおられます。
ある皮膚科医が自分の腕(正常皮膚)にvery strongクラスのステロイドを長期に外用する実験をされまして、その結果、皮膚の萎縮は認めたものの、外用中止後、離脱皮膚炎は認めなかったそうです。 正常皮膚は、皮膚炎状態の皮膚に比べて、ステロイドの吸収量が随分少ない(バリヤ機能がしっかりしているためで、薬が入らないこと→キャスティングオフと言います)こともありますが、皮膚萎縮が生じている以上、ステロイドは作用していることになります。
したがって、正常な皮膚ではリバウンド(離脱皮膚炎)は生じないことが言えます。 また、幼児期から小学生に至る間ステロイドを使い、中学・高校・大学までは使わず、社会人になって再発してきた患者さんは大勢おられます。 この方たちは、幼児期から小学校まで約10年間ステロイドを使いながら、中学になってステロイドがいらなくなる過程で、リバウンドはまずなかったであろうと思われます。
これらのことから何が判るでしょうか? 続いてしまったりします。
Vol.53(2003.07)
前回の文章で訂正しなければならない箇所があります。「‥正常な皮膚ではリバウンド(離脱皮膚炎)は生じないことが言えます。」というのは間違いでして、吸収のよいところ、特に顔面では、正常な皮膚であっても、ステロイドを外用し続けると、急な中止でリバウンドが生じます(その前に酒さ様皮膚炎が生じてしまいうことが多いですが)。
顔面は特殊ですが、それでも、前回示したように、顔面を含めて外用していても、子供時代から中学・高校へかけて中止できた例ではリバウンドは生じていません。
思春期では、未熟であった免疫系を含む皮膚バリヤー機能が成人としてしっかり働き始めて、アトピー素因ごとおさえこんでしまうために(心理的増悪因子、日常生活上の増悪因子がまぎれこまなければ)その時期にいったんアトピー性皮膚炎は治ることが多いのです(私見ではありますが)。
つまり、皮膚炎が生じない条件が整うと、ステロイドを使わないですむ状況が現れはじめて、自然体でぬらなくていい時はぬらないようにしていると、平和に中止できる状況が生まれるのです。
これは必ずしも思春期にのみ言えることではなく、成人してからも、正常な皮膚のバリヤー機能を損なわせている増悪因子に気づいて、それをコントロールして、皮膚炎が生じない状況を作り出すことができれば、ステロイドは自然体で中止することができるはずなのです。逆に、増悪因子に気づかずに、皮膚炎が必然的に生じる状況で急に中止するためにリバウンドが生じるとも言えます。
「う〜ん、ちょっとまって、ステロイドが本来持っている性質であるところの身体的依存によって生じる『離脱皮膚炎』と、原因がそこに存在していることによって生じている本来の皮膚炎にもどる『リバウンド』が混ざってないですか?」鋭いご質問。確かに今回の冒頭に示した顔面の場合など、正常な皮膚にぬっていて止めるわけですから、皮膚炎が生じない条件など、最初から満たしているにもかかわらず、リバウンド(離脱皮膚炎)が起こるではないかと。
整理してみます。ステロイド外用(連用)により生物学的な依存が生じた場合は、急な中止によりある程度の離脱皮膚炎は必発であるといえます。
特に顔面は吸収がいいため、生物学的依存が他部位より起こりやすいことも確かです。そのために一気にステロイドを中止すると必ず離脱皮膚炎が起きる、ひどい皮膚症状になる、と断言してからステロイド離脱を始める先生もおられます。けれども、この「離脱皮膚炎」と「リバウンド」は、前回リバウンドの説明で分けて考えるべきであるかのように説明しましたが、実は密接に関連しているのです。
顔面は、ステロイド外用剤ができてから時代を経ずして、酒さ様皮膚炎としての副作用とその離脱における一過性の皮膚炎症状の増悪が指摘されており、顔面への連用については注意が必要であるとされていました。しかし他の部位への長期外用とその中止による離脱症状が問題になったのは、成人型アトピー性皮膚炎からではないかと考えます。
全身への長期外用と症状が消失(増悪因子がなくなり治る条件が整っている)していない状態での急なステロイドの中止というのは、かつて皮膚科医があまり経験していない状態といえます。結論から言えば、ステロイドを急に中止した時に生じるいわゆるリバウンドは、「離脱皮膚炎」と「リバウンド」の合体したものなのです。
次回は入院して離脱した時を例にしてさらに深めてみます。
Vol.54(2003.09)
私も数年前までは、入院してもステロイドを急に中止すれば、2週間くらいをピークとする離脱皮膚炎が生じると思っていました(もちろん、そのあとの皮膚炎の落ち着く先は、その時(入院環境において)の、その方をとりまく増悪因子の総量で決まるので、入院前の環境でステロイドを中止するよりはいい状態になると思っていましたが)。
しかし、一番印象に残っている患者さんで、デルモベート(ご存知の方も多いでしょうが、最強のステロイド外用剤です)を塗られていたのですが、入院して中止すると、本当に全くと言っていいほど、離脱症状の出なかった方がおられました。 その方は前の病院で、中止したら絶対ひどいリバウンドがくるから止めるなと言われていたようです。 本人もひどく恐れていましたが、それでも止めたいということで、入院して中止したのです。
この方の場合は、入院によって増悪因子が減ったことは間違いなく、離脱皮膚炎のあとにはよい状態に落ち着くであろうと予想できましたが、こちらが考えていたような離脱皮膚炎も生じませんでした。 振り返ってみると、こちらの予想に反して離脱皮膚炎がほとんど出なかった例は、この方以外にも多数おられたことに気づきました。
ここからは印象ですが、離脱に際して、「リバウンドは必ず生じる」「使った量が多いほど、期間が長いほどひどいリバウンドが起こる」「リバウンドがあって初めてステロイドが離脱できる」という情報を鵜呑みにしている(ここの「リバウンド」は離脱皮膚炎をさします)方は、「ステロイドをやめると悪くなる」ことを無意識に「予想」「期待」して、自ら離脱皮膚炎を招いている可能性があります。 事実、デルモベートで離脱皮膚炎をほとんど生じなかったこの方を例にして、患者さんに「リバウンドは必ず生じるわけではなく、条件と気持ちの持ち方で生じない時もある」と説明し始めてからは、離脱皮膚炎が軽くなっている気がします(本当は統計をとらなければいけないのですが、なにせメンタルな部分が複雑で、多因子解析に踏み切れておりません)。 デルモベートの方は、確かに前医でおどかされていて、こちらも恐る恐る様子をみていたのですが、ご本人がわりとドライで状況を否定的にとらえずに、チャレンジ精神で離脱に向き合うことができたのがよかったのではないかと思います。
もちろん、気分だけで離脱皮膚炎が全く生じなくなるとは言えません。 時には2週間ではピークが来ないで、一ヶ月半ぐらいでピークになり、三ヶ月くらいでおさまっていくような方もおられます。
この状況が本当に離脱皮膚炎の経過なのか、その方の本来のアトピー性皮膚炎(狭い意味のリバウンド)の経過なのか、判定する術は今のところありません。 長期にわたって外用し、既に皮膚が黒ずんで分厚くなっていてそれ以上ステロイドが効かなくなっていて、なお外来で外用を減らそうとすると、症状が増悪してくるタイプ(最近、当院の外来ではめったに見なくなりましたが)の方に、まれに経験します。
原因と結果の追いかけあいにも聞こえますが、長期にわたって外用をせざるを得なかった状況、その間ステロイド外用が減量できずにむしろ増えてしまっている事実、それ自体、その方が今まで色んな意味で無理を重ねてきた事を表しており、その結果が「リバウンド」「離脱皮膚炎」複合反応として現れるのです。
入院して癒された状態が実現できれば、その複合反応は最小限に抑えられるでしょうし、入院しても、あせったり、人間関係で悩みを引きずっていたりして、癒しが実現されていない、あるいはもっと時間が必要であった時に、複合反応が強く出るのでしょう。
次回は「リバウンド」を含め、最後に掲げた「効果の減弱」「廃人になる」という意味をまとめて「ステロイド編」を仕上げてみたいと思います。
Vol.55(2003.011)
ステロイドを長期間外用していると、効果が落ちてくる‥ 淀川キリスト教病院に通院されていたアトピー患者さんに実施したアンケートでは、約6割の方が、効果の減弱を感じておられるとの結果が出ています。 その理由については大きく二つの原因が考えられます。
一つは塗り方と症状の問題。 これは症状が悪くなっているにもかかわらず、同じ量を外用していたために効きが悪くなっていると感じてしまう場合。
もう一つはステロイドの受容体の問題。 ステロイドは細胞の中に取り込まれて初めて色々な作用を示すことになるのですが、細胞の表面にあってステロイドをキャッチして細胞の中へ情報を伝えるのが受容体です。
喘息の患者さんが長期にステロイドを使用していると、このステロイド受容体の数が減ってしまってステロイドが効きにくくなることが知られています。 この場合、しばらくステロイドを使わないようにすると、再び受容体の数が増えてまた効くようになります。 ステロイド外用剤の長期外用でステロイド受容体の数が減少するということはまだ証明されていませんが、効きにくくなった時にしばらくステロイドを休止すると、また効くようになることはしばしば経験することから、同様の現象が起こっていると考えています。
また、体質的にステロイドと受容体の結合性が後天的に悪くなる例や、まれに先天的に受容体との結合性がよくない例が存在するといわれています。
塗り方と症状の問題は、ステロイド本来の問題ではありませんが、使用に際して医師の説明不足も原因であると思います。
「きつい薬ですから、あまり塗らないようにして下さい」と言われても患者さんは困るばかりです。 受容体の問題にもからみますが、ステロイドを使用する時は、やはりテクニックが必要になります。 後ほどまとめてみたいと思います。
受容体の問題では、数の減少、これは完全に謎解きがなされたわけではありませんが、やはりステロイドの宿命的な問題であると思います。 そしてこれも確定されていませんが、ステロイド抵抗性の人(受容体との結合性が悪いために初めから効果の弱い人)やステロイド依存性の人(皮膚の局所の反応性が高く、離脱皮膚炎が非常に強く出てしまう人)の存在が疑われています。
また、効果の減弱という意味からは離れますが、効果が弱くなってと感じられる時に、そのステロイド軟膏の基材や成分にかぶれていて、それによって生じる皮膚障害も含めてステロイドの成分が炎症を抑えるために、相対的に本来の皮膚炎への効果が落ちたように見えることがあります。
さて、このようなステロイド外用剤を使用したとき、「廃人になる」ことはありうるのでしょうか? 今回はそこまではふれることができませんでした。 次回からステロイド外用に関する私的意見を述べさせていただきます。
Vol.56(2004.01)
ステロイドを塗っていると廃人になるか?この質問を、ステロイドを当然のように使用している医師にすれば、荒唐無稽であるとしてとりあってもくれないでしょう。
けれども、この意味を深くとらえると、即答できなくなります。
では、私なりに考えてみます。
そもそもステロイドが社会問題化した大きな理由とは? 「たかが皮膚炎」に「たかが塗り薬」を塗っていただけなのに‥ この言葉の中に「理由」が見え隠れしているようです。 20年位前、ステロイド外用剤の圧倒的な効果の前にその当時の皮膚科医の多くは、皮膚炎はステロイドを外用して症状を抑えてさえいればそのうちに塗らなくてよくなるという、漠然とした「常識」の中で、アトピーを含む「皮膚炎」に対して原因の追究がおろそかになっていたのではないでしょうか?
今、アトピーに関する様々な知見や基礎研究・学会発表などは「社会問題化」したからなされているような気もします。 「皮膚炎は、原因を探ってそれを除くことが大切であることはいうまでもないが、皮膚炎の存在そのものが及ぼす悪影響(かきむしることによる増悪、痒みによる不快感・いらだち・不眠、皮膚のバリヤ破壊による二次的増悪因子の侵入・感染‥)を防ぐために皮膚炎そのものをコントロールすることが治療の大前提になる」という考え方があります。(前に紹介した気がしますが)
これはこれで正しいと思うのですが、いつの間にか「いうまでもない」はずの原因除去が、皮膚炎をコントロールすることが治療の主体になってしまったために、重要視されなくなってしまった気がします。
それほどにステロイド外用剤は効いてしまうのです。
ステロイドがなければ、皮膚炎を抑えるいい方法はなく、少しでも消炎効果が期待できる軟膏治療を施し、掻破(かきむしり)による増悪を防ぐ環境整備をしなければならなくなり、必然的に原因除去を患者さんとともに考えて実行しなければならなかったでしょう。 ところがステロイドを塗れば、皮膚炎をとりまく環境は一気に好転してしまい、医者も患者さんも苦労せずに快適な状況を得ることができて、本来自然軽快してしまう皮膚炎であれば、そのまま治癒に至るようになります。
そして現実に、皮膚炎の中には苦労して原因をさぐらなくても、偶発的接触・掻破による悪化だけのものも多数あり、それらはステロイドの外用のみで治ってしまいます。
したがって、皮膚炎をみたら、とりあえずステロイドを外用して、皮膚炎の存在そのものからの増悪環境を断ち切ってみて、その上でステロイドの離脱ができなければコントロールしながら原因の検索をしてみる、離脱できて治ってしまえばめでたしめでたし、という方法が一般的な皮膚科医の手法になっているようです。
この方法は、場当たり式ですが、症状に対する患者さんの満足度が高く、後半の「離脱できなければ原因を検索」して、さらにそれを除去することでステロイドの離脱まで責任を持つのであれば、特に間違っているとも言えません。
湿布によるかぶれだとはっきりわかっている場合、ステロイドを使わなくても、皮膚からかぶれの原因成分がぬけていけば自然に治るので、放置してもよいのですが、その間、かゆみのためにかきむしってしまえば皮膚炎は一時的に増悪してしまい、不快感は増大し、さらに掻破してじゅくじゅくさせてしまうと、自家感作性皮膚炎となって体中に湿疹が広がってしまう場合もあります。
この時はステロイドを外用する方が素早く症状が和らいで、悪化させることなく治癒に導き、ステロイドも簡単に止めることができます。 つまりこの段階では、ステロイドが社会問題になることはないと言えます。 まして、この使用によって廃人になることはない、ということもおわかりだと思います。
しかしこの段階で、患者さんではなく、皮膚科医の方が「ステロイド依存」におちいってきたように思います。
私もこの淀川キリスト教病院に来る前は「当たり前にステロイドを使う医師」であり、ステロイドを嫌がる患者さんを説得してステロイドを塗ってもらうようにしていましたから。 結局ステロイドを使わなければどうなるのかを、誰も教えてくれませんでしたし、既に確立した方法としてステロイド外用療法がある以上、それ以外の方法で治療したら、むしろ患者さんの状態を悪化させてしまうかもしれないと考えれば、使わざるをえない状況でした。
大学病院でも、教授をはじめ、指導的立場の医師がステロイドを使わなければどうなるか、知らなければ、そこで学ぶ若い医師がステロイドを使うことを常識としてしまうことは当然と言えます。 さて、この圧倒的効果の前に、ありとあらゆる皮膚炎にステロイド外用がなされていきました。 その中には小児のアトピーも含まれています。
ご存知のように小児のアトピーも、ステロイドを何回か塗ればもう治って塗らなくてもよくなるような、生易しい皮膚炎ではありません。 止めればまた出てくる、を繰り返すタイプです。
しかし、小児のアトピーは「そのうち治る」「大人になれば治る」「思春期には治る」という皮膚科の経験があり、そのために繰り返しても、「治る」「ステロイドは止められる」という自信の下に外用されていました。
実際に、以前にも書きましたが、アトピーは成人の免疫系が確立し、皮膚の皮脂腺が十分に発達・活動する思春期には(メンタル的に自立の条件が整っていれば)押さえ込まれてしまうので、かぶれの時に、原因物質が皮膚から消えていけばステロイドがいらなくなって止めていけるように、ある時期がくれば、リバウンドをともなうことなく、自然体でステロイドを止めていくことができます。(‥全例ではないことは、おわかりかと思いますが)
この段階でもステロイドが社会問題化しているわけではありません。 皮膚科医がステロイド依存となっていても、かぶれや小児のアトピーにステロイドを使用しても、まだ社会問題化、「廃人になる!」という叫びは聞こえてきません。 もうおわかりだと思いますが、この叫びは「成人アトピー」にステロイドを使用してから聞こえてきたのです‥。
長くなりましたが、まだ本論に達していません。 でも次回からはかなり大詰めです。
Vol.57(2004.03)
ステロイドが問題化したのは、成人アトピーに使用した時の、それもいわゆる「副作用」ではなく、中止時の離脱皮膚炎が「リバウンド」として広まったことではないかと思います。
「離脱皮膚炎」「リバウンド」については既に紹介していますが、なぜ社会問題化するほどにこじれてしまったのでしょうか?
前回紹介した、これまで問題とならなかったステロイドの使用と比べて、成人アトピーはどこが違ったのでしょうか? これには複数の要因がからんでいます。
第一に、「成人アトピーは、症状を抑えているだけでは治らない」ということがいえるでしょう。 このことは、ステロイドは対症療法の薬であって本当の意味で病気を治す薬ではない、ということと同じで今さらとりたてていうほどのことではないかもしれません。
ですが、とりたてていわなければならないことなのです。 裏を返せば多くの皮膚炎は、自然経過をたどる小児のアトピーを含めて、ステロイドを塗って症状を抑えているうちに勝手に治ってしまうものが多いということです。
そうでなくても、ある程度の外からの治療の工夫(紫外線や抗生物質の併用など)で、他力本願で治ってしまいます。 ところが、成人アトピーの治療に必要なものは、何度も出てきますが「自己コントロール」という、自己努力です。
「ステロイドを塗っている時は落ち着いているのですが、止めるとすぐもとに戻ってしまうんです‥」患者さんのこの言葉が全てを物語っています。 ステロイドが対症療法の薬であることはわかっていても、患者さんが期待することは、「塗るだけで治ってほしい」ということなのだと思います。
前回のはじめの方に書きましたが、たかが皮膚炎なのに塗り薬で治らないとは何事か!‥という感覚。 この感じ方こそ、ステロイド問題、アトピービジネス問題の影の主役の一人だと思います。 それは「皮膚炎」というものに対する潜在意識下の恐怖のなさ、と言えるかもしれません。
以前(45、46号)にも書きましたが、内臓疾患と皮膚炎の受け入れ方の差は大きいものがあります。 心臓病は受け入れるまではつらいでしょうが、受け入れてしまえば自分の「大切な身のうち」のためにあらゆる努力を惜しまないでしょう。
徹夜が続いて、心臓が苦しくなれば、たとえ薬で楽になっても、まず無理をしないように徹夜の仕事を避ける努力をされることでしょう。
しかし徹夜でアトピーが悪くなった場合、ステロイドでましになった人が徹夜を避ける努力をしてくれるでしょうか? 徹夜なんて、本当は誰もやりたくないはずです。 それでもしなければならないということは、かなり厳しい現実、「必然」が存在しているのです。
徹夜を避けてリラックス・リフレッシュする時間をとるには、その「必然」を崩さなければなりません。 上司に理由を説明しなければならないでしょうし、そのとばっちりをくらう同僚にも頭を下げなければならないでしょう。 しかも見た目はましになっている状態で‥ それを、潜在的に湧いてくる恐怖の後押しもなく、周りも心臓病などという説得力のある病気でないために理解されない状況で実行できるでしょうか?
周りに理解されないということは、自分もまた理解していないということと実は同じなのですが‥ 私も含めて、全ての人は「皮膚炎」に対して潜在的恐怖を抱けないのです。
このことは薬で楽になった時の感じ方にも表れます。 心臓病が薬で楽になっても安心することはできないはずです。
おそらく「これは薬で楽になっているだけだから、無理をしないように注意しなければ」と思われることでしょう。
しかしアトピーがステロイドなどで楽になった場合、「これは一時的に助けてもらってるんだから、何とか苦しんでいる皮膚のために何かやらなければ‥」と考えてくれるでしょうか? 「やっとこれで人並みの皮膚がもどった」、もっと長く苦しんだ方なら「お前は今まで何をしてたんだ! ずっと苦しめてきやがって‥」という風な気持ちになってしまわないでしょうか? 私なら多分そうなってしまうでしょう。
つまり、成人アトピーへのステロイド使用が社会問題になった理由の第一は、「治療に自分の努力が必要であるにもかかわらず、頭でわかっていても、潜在意識のレベルで努力の必要性を感じ取れない」ということです。 本来、動物は本能的にある程度の病気に対する対処法を心得ているものです。
人間も、だいぶ鈍くなってはいますが、「動かない方がいい」「寝るのがいい」「水分をとらなきゃ」「温めなきゃ」「冷やさなきゃ」などという第一印象を持つことは多いと思いますし、大体はその印象は当たる(正しい)ことが多いのです。 ところがアトピーに対して、まず何をするのがいいのか、本能は教えてくれるでしょうか?
「休んだ方がいいの?動いた方がいいの?」「冷やすのがいいの?温めるのがいいの?」「汗かくのがいいの?かかない方がいいの?」「水分とった方がいいの?とらない方がいいの?」「油をぬった方がいいの?ぬらない方がいいの?」‥ 本能は答えてくれるでしょうか?
おそらく人類、動物の歴史の中でこのような病気はあまり経験されていないため対処法がインプットされていないのではないでしょうか?
このことに対する対処法は後ほどまとめて考えてみます。 今は「ステロイドの章」ですから‥ そして第二には、それでもかつてはステロイドを塗っているうちに勝手に治っていたのに‥ という皮膚科医の疑問への答えがあてはまります。
「ストレスの章」の整理になりますが新たな考察を加えてみます。
Vol.58(2004.05)
なぜ、ほっといたら治っていたものが治らなくなったのか?
これは中々深遠なテーマであり、私めがどーのこーの言えるものではありませんが、単純に「原因が取り除けなくなったのではないか?」という可能性を考えてみます。 そうすると、やはりアトピーの原因としてのストレスを避けて論じることはできません。
このことは、前からあーだこーだ書いてきましたので、もういいかとも思いますが、ここでもう一度まとめてみます。 まず、ストレスの質そのものがハードになってきていること。 交通の便がよくなったために広がる行動範囲。 便利なシステムの存在の裏には、その安全を支えるための厳しい管理、そこから派生する責任の重さの増大。 そして膨大な情報‥ 特に「責任」「情報」が現代のストレスのキーワードかと思います。
交通の便については、東京出張に一泊で行けていた時代もありましたが、今では日に2回は往復できるでしょう。 そしてその日に2回の出張をバックアップするのが、「情報」の量とスピードから加速される企業間の競争です。
情報が少ない頃は、ある小さなグループの中で少しがんばればほめてもらえていたのに、もはや、競争相手が世界となっている現代では、少々のがんばりでは認めてもらえず、それは個人のやる気をしぼめてしまいます。
やる気を奪われつつ、要求されることは、顧客の満足度を高めるための、また品質を損なわないための、「責任」です(こちらも「病院機能評価」や「ISO」取得のためにあたふたいたしておる次第です)。
この「責任」増大の裏には「情報」のバックアップによる「個人の権利意識の増大」があります。 個人が権利意識を持つこと自体、決して悪いことではなく、むしろ十分に認識すべきものです。 ところが、これは「こうされて当たり前なのにこうされなかった」という「不満」を生み出す温床にもなります。
本当の権利意識とは、本来認められるはずの権利が侵害された時に、泣き寝入りすることなく、しっかり主張することです。 つまり主体性を持った行動を意味するのですが、中途半端な意識では、「権利を侵害された=被害者である」という受身的なものになることがあります。 個人の権利が「しっかり勝ち取る」ものから「与えられて当たり前」なものになりやすい状況になっている気がします。
「情報」の増大とスピードが、各業種の顧客獲得のためのサービス合戦をあおり、結果的にその過剰なサービスシステムを維持するために、スタッフには過度の「責任」が生じてきます。 またそのサービスを受ける側は、徐々に「サービスを与えられて当たり前」という気持ちが強くなり、少しでも期待通りの結果が与えられなければ、「不満=被害者」の意識が生じやすくなります。 サービスなどあまり意識されなかった時代(‥いつ頃なんでしょうね)、何でも自分で解決しなければならなかった時代は、人は人の好意に対して素直に感謝できたのだと思います。
いつから「サービス」は「感謝の対象」から「与えられて当たり前」のものになってしまったのでしょうか。 そして、結果的に「不満」が増大しているのです。 次に「情報」について考えてみます。 とにかく情報が多い! 私のように整理能力のない人間にとってこれはゆゆしき事態です。
今、「情報」について世間が非常に神経質になっていることは、「個人情報」をどう守るか、ということでしょう。 もちろんこれは非常に重要なことですが、同様にいかに情報を選ぶか、無制限に飛び込んでくる無責任な情報からいかに身を、心を守るか、これも重要であると思います。 インターネットが普及するまでの情報は、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌など、100%正確とは言えないまでも、ある程度、信頼のおける情報源から発せられたものでしたが、インターネットは全くの無法地帯といえる情報の怪物です(個人的には、子供たちにコンピューター、インターネットを授業で教えるなら、情報の受け方だけでなく、この情報の怪物の恐ろしさ、無責任な情報のもつ異常な力を教えるべきだと思っています)。
つまり、誰もが、何の根拠もなく好き放題に情報をその「インターネット」空間に泳がせることができるのです。 そして、無責任な情報にまだよく慣れていない人、インターネットの掲示板に書かれていることが新聞・雑誌のセレクトされた情報とつい混同してしまう人にとっては、その情報は自分を惑わすマイナスなものにしかなりません。
また、ある程度事実に基づいた情報を選ぶ力のある人でも、事実を全て知って幸せでしょうか? 興味のある情報は巷にあふれています。 けれども、本当に必要な情報とは、それを知ることで、自分が幸せになるための指針となるものであるべきです。 100%当たる占いがあったとして、余命を占ってもらいたいでしょうか?
卓越した精神力と人生の目的を持った人以外、その情報を幸せのために使えるとは思えません。 つまり情報はそれだけで、その人の精神状態まで左右する力を持っているのです。 それでも、「情報」がそこにあるとわかっていれば、人はそれを得ようとします。 その根底には、やはり「不安」があるからなのでしょう。
しかし(パラドックスみたいですが)私は「不安」が多いから「情報」を求めるのではなく、「情報」、それも不確定な「情報」が、個人のキャパシティーを超えた「情報」が、あまりにも多く、そして手軽に手に入りすぎることから、ますます「不安」が増大しているように思えます。
パンドラの箱という神話では、世の中の厄災を封じ込めた箱をパンドラという女性が開けてしまうのですが、争いや虚偽、疑う心などが飛び出したあとに彼女が最後に封印したものが、「予知」であったと記憶しています。 その結果、世界に「希望」が残ったのだと‥
さて、こうして「情報」からは「不安」が生じてくる可能性があるのです。 「責任」「情報」という現代のキーワードから「不満」と「不安」が生まれてきて増えてきている気がします。 このことが、重要な意味を持ちます。 続いてしまいます。
Vol.59(2004.07)
「不安」と「不満」がストレスの重要なポイントであるとお話しましたが、ここで「ストレス」というものの意味をもう一度考えてみます。
よく悪者の代表のように言われる「ストレス」ですが、以前に受け止め方によってそのストレスはプラスにもマイナスにもなる事を述べたと思います。
もう「ストレスの章」は終わっているので結論から言いますと、心に張りがある状態で受けるストレスは、それを乗り越えることで、その人を強くする経験値になり、心に張りのない状態で受けるストレスは、そのまま被害者の意識を強くして免疫にダメージを与えます(‥動物実験ではうまくモデルが作れないので証拠があるわけではありませんが)。
心に張りのある状態とは、切羽詰った状態から順番に言えば、自分の命を守るため、愛する者を守るため、家族を守るため、誇りを守るため、こだわりを守るため‥(「守るもの」、自立のポイントでしたね)。自分をとりまくものが厳しければ(もちろん不公平感が出ないぐらいの広い世界でという意味で)、生きて生活するだけで、現れるストレスは自分を強くしてくれるでしょう。
ところが現代では、「ラストサムライ」に憧れても、命かけて守るべき誇りやこだわりは、ただ待っているだけでは現れてくれません。自分で、精神力を使って「誇り」「こだわり」「美学」を見つけなければなりません。そして、「不安」「不満」が心の張りの失われた部分に入り込んで、心の大部分を占めてしまうと、もう「ストレス」は受身にとらえられて、経験値になることもなく、蓄積される疲労となり、免疫にダメージを与えます。
(ここでいう「ストレス」とは、道を歩く時に感じる足の疲労感からどろどろしたぬかるみの人間関係まで全てを指します)
私なりの結論として、かつて成人アトピーが目立たなかった頃とは、必死で生きるために戦っていた時代はストレスも生きるか死ぬかの相当なものであったと思いますが、それに対応する心の張りもまた相当なものであったのでしょう(補助的因子として、カロリー過多の状態もなかったでしょうし、環境破壊も深刻でなかったでしょう)、時代が進み高度経済成長期は、ほどほどのストレスにほどほどの心の張り(カラーテレビや自家用車などの物欲と、「夢は社長」の国全体の元気さ)、そして成人アトピーが目立ってきたこの時代は、「不安」と「不満」に責任の重さが重なったストレスに対して、失われていく心の張り。
その結果、本来「成長」「自立」で治っていくはずのアトピーが、ただ自然に暮らしていくだけでは治りにくくなってしまったのではないか、ということです。もちろん、これは私的総論であり、ステロイドを塗りながら、特にこれらのことを意識しなくても、ただ生活していくうちに、色々な経験を経て強くなり、知らないうちにステロイドがいらなくなっていたという人だってたくさんおられることと思います。
ただ、その幸せな状況に至るまでに、自ら増悪させた皮疹がステロイドの限界を超えてしまったケース、まだ未知なるステロイドの作用による(ある種の体質?)皮膚炎の暴走状態が臨床上、明らかに見られるようになったのはここ20年でしょうか。
このお話は「ステロイドの本当の使い方の章」でねちこくみていきます。
潜在意識によるアトピー治療の妨害と現代のストレス事情。これが成人アトピーの本態であり原因であるとすれば、「治療」には、はっきり言ってある種の「精神力」が必要になります。ステロイドを使えば「廃人」になるのか?この答えは、次回の「ステロイドの本当の使い方の章」で詳しく考えてみますが、ここでは以下のように結論しておきます。
ステロイドを使用せずに、かといって特に自己コントロールせずに、ストレスの中で無理を続けていると、やがて増悪した皮膚炎がその人の活動を奪い、休むことを余儀なくされる。
ところが、同じことをステロイドを使いながら行うと、自己コントロールせずにという条件では、ステロイドのために無理がきいてしまうので、行くところまでいってしまう、つまりstrongestのステロイドで効かなくなるまで無理をしてしまう可能性がある。その状態をどう考えるかだと思います。
(正常な人にステロイドを塗っただけで、病態生理学的に、身体の機能が廃絶してしまうことは起こりえないと思います。念のため。)
Vol.60(2004.09)
対症療法薬というものがあります。消炎鎮痛薬がその代表ですが、ステロイドも対症療法薬と位置づけられるでしょう。
では、そもそも「対症療法」とは? 「患者の症状に対応して行う療法」(広辞苑)とあります。では「療法」とは? 「治療の方法」(広辞苑)とあります。では「治療」とは? 「病気やけがをなおすこと。また、そのために施す種々のてだて。」(広辞苑)とあります。
何が言いたいのか? 「対症療法」は「治療」なのです。つまり、あるクスリが、「対症療法薬」として使用される場合とは、それが「療法」、すなわち「治療」として認められる場合に限ります。
よく耳にする言葉で、「ステロイドは症状を抑えるだけだから」と、いうのがあります。この言葉は、厳密にいうと、不適切です。これからステロイドの使用について考えていく上で、最もわかりやすい表現でありながら、いい意味でも、悪い意味でも不適切な部分があります。
それは「だけだ」という部分です。その部分が余計なのです。つまりステロイドは症状を抑える「だけ」ではなく、そこからがポイントなのです。(ホントに「抑えるだけ」なら、それはそれで非常に意味がありますから)
まず考えてみたいことは、ステロイドに限らず、一般的に「症状を抑えること」は「療法」につながるのか?ということです。結論からいうと、「対症療法」が成り立つかどうかは、「症状を抑えておけば、あとは体が治してくれる」という構図があてはまるかどうかです。
人の命を脅かすような重篤な疾病群を除き、風邪症候群のようなもの、軽度の外傷など、ある条件を満たせば、特にクスリを使うまでもなく治癒する疾患は多数あります。(疾病の大部分が、自然に治ってしまう範疇に入ると言えるかもしれません) ステロイドの章の初めに書きましたが、クスリには多かれ少なかれ副作用が存在する以上、その使用は、メリットがデメリットを上回る場合にのみ認められます。
勝手に治るものに、あえてクスリを使う場合は、それなりの意味がなければなりません。どんな意味があるのか? 例えば頭痛において、脳腫瘍や頭蓋内圧上昇などの重症でなく、筋緊張性や血管性など、ある時間が過ぎれば治ってしまうような場合は?
放置して痛みを辛抱したとき、その不快感が作業効率を落としたり、食欲を減退させたり、症状からくるストレスが二次的に免疫低下や胃潰瘍などを引き起こしたりするとすれば、早期に鎮痛剤を使用することで、これらの二次的な障害を予防できるのなら、十分、対症療法と認められるでしょう。しかし、胃の弱い人が、十分がまんできる程度の頭痛に対して、痛いからといってすぐに鎮痛剤を使用すると、胃粘膜を痛めてしまうこともあり、この場合は対症療法としては不適当であったとも言えます。
また、鎮痛剤を使用すればましになるので続けていると、気づかないうちに脳腫瘍が拡大したりして、鎮痛剤が効かなくなった時にはすでに重篤になっている場合もありえます。これは、脳腫瘍という、本来放置しても体が治してくれるものではないものに使用しているため、対症療法からはずれてしまいます。(細かいことをいうと、脳腫瘍がはじめからわかっており、あくまでも患者さんの「快適さ」を生み出すことが治療の目的であるなら、対症療法として正立するわけです)
さて、頭痛を例にしましたが、これを踏まえて、ステロイドの使用について考えていきます。
Vol.61(2004.11)
ステロイドは対症療法薬となりえるか?
これは何に対して用いるか、つまりどういう病気に用いるかで決まってきます。内服を含めると、話が大きくなりすぎるので、外用に限って考えていきます。
56号で少しふれましたが、いわゆる「かぶれ」である接触性皮膚炎の場合、原因となる接触原が除かれた状態であれば、ステロイドを外用して炎症を抑えて、かきむしる動作をなくして二次的な増悪が防げるのであれば、十分に対症療法薬として成り立ちます。
対症療法薬となりえるかどうかは、ステロイドの中心的役割が炎症反応を抑えることですから、このことが、体にとって、疾患にとってどういう意味を持つかにかかっています。今までの話で、ステロイドが社会問題になった対象は成人アトピーであることを説明しましたので、結論として成人アトピー以外の疾患に対しては、ステロイドは対症療法薬としてほぼ認められると言えるでしょう(例外はやはりあると思いますが)。
では、成人アトピーについて。まず成人アトピーにおいて炎症を抑えること、その意味を考えなければなりません。「ステロイドは人を廃人にするか」という考察ですでに結論を出しているわけですが、ステロイドを塗りながら無理を続けるのであれば、結果的に症状はステロイドの効果に隠されつつ増悪してしまいます。
この場合、ステロイドは対症療法薬としては認められないでしょう。しかし、ステロイドを塗ることで症状を抑えることが、かきむしることによる二次的増悪を防ぎ、皮膚表面の防御能を復活させることで感染を防ぎ、不眠の状態を改善することにつながることも事実です。
さらに、顔面の皮膚状態がましになれば、外出する気持ちが出てきたり、かゆみの軽減が冷静な判断力を復活させてくれたりもするでしょう。このことが気持ちによい影響を与えて、考えが前向きになったり、生活を改善するきっかけになったりすれば、結果的に本来の症状の改善に結びつく可能性があるので、この場合はステロイドが対症療法薬として機能したと言えるでしょう。
では、結論として、ステロイドは成人アトピーに対して、対症療法薬となりえるのか?
結果論ですが、ステロイドの外用の効果によって、自己コントロールできるように導かれた人にとっては対症療法薬と言えますし、本来体を休めなければならない人がステロイドを使って無理を続けて、増悪を繰り返す場合は、対症療法薬とは言えません。
では、成人アトピーの治療におけるステロイドの位置づけは?
外来でこの言葉を聞かれた方も多いと思いますが、「緊急避難」なのです。意味がよくわからない方も多いでしょうから、次回からはもっと具体的に、ステロイドをもし使うならこう使うべきだということを説明していきたいと思います。
Vol.62(2005.01)
緊急避難とは? ただ、症状がきつくてどうしようもないので塗って抑えるという意味ではありません(もちろんどうしようもない時に塗ることは、間違いではありませんが)。 私的考えですが、アトピーはメンタルな病気ですから、これはメンタル部分の緊急避難を意味するのです。
皮膚炎の存在が気持ちの重荷になる時は、ステロイドを使って症状を抑えて、気持ちの下支えをすること、これが緊急避難だと思います。 それがなされなければ、結局症状が気持ちを暗くして、さらに症状を悪化させてしまう、悪循環になる時です。 「それじゃ、いつも緊急避難の適応じゃないか」という風に考えられるかもしれませんが、今まで申し上げてきたように、アトピーの治療にはある程度の精神力が必要です。
したがって、機械的に、少しでも症状が気持ちの負担になれば抑えるべきだ、とは言えません。 結局そのラインは自分で決めていただかなければならないのです。 ひどい離脱症状を乗り越えたのだから、少々皮膚炎がこじれても使うべきではない、こう考えられる方もおられるでしょう。 けれども、ご自身の心身の疲労を客観的にとらえることも自己コントロールには必要です。 確かに離脱の時の症状に比べたら、現在の症状はましかもしれません。
けれどもその症状を支えている精神はどうでしょう?
離脱の時は、これを乗り越えられれば治る、などの強い意志があったはずです。 しかし、その後は症状がましになっても、押し寄せてくる日常の中で、種々のストレスに巻き込まれながら、残っている症状をがまんするという軽いジャブのような精神的な疲労が蓄積されている可能性があります。
そして、いつしかその蓄積した疲労のために、バランスが崩れて、症状の増悪が起こることがあります。 その時に、症状をコントロールすることが、精神の疲労を癒すことにつながり、現状をもっと楽しいものに変える工夫ができるのなら、精神の下支えのための緊急避難としてのステロイドが選択されるのです(もちろんステロイド以外に、旅行や趣味、自分の時間を作る、あこがれを胸に抱く、夢を追いかける、など、今まで色々考えてきた精神を癒す方法があるなら、そっちを選ぶ自由はあるのです)。
「全体はすごくよくなっているのに、この足首のジュクジュクが‥」「この首の赤いのさえ‥」「他は気にならないのに、なんでこんな目立つ目のまわりにだけ‥」この思いは、「一気に眠れたらよかったのに、ちょっとタイミングがずれて眠気が覚めたときに聞こえてくる、普段は気にならないような時計の音、家具のきしむ音、車の通過する音などが気になりはじめて眠れなくなった」というのに似ています。
残った症状が気になっていると、前にも書いたとおり、皮膚炎は「邪魔者」の感覚が生じやすいので、だんだんその皮膚の部分が憎らしくなってくる‥ そんな感覚になってきませんか? そうなると、その気持ちは直接増悪因子となって、さらに皮膚炎を悪化させてしまいます。 そんな時にステロイドをその部分だけ使うと有効な(一度抑えてしまえば、あとは繰り返さない)場合があります。
緊急避難としてのステロイドは、その使用で、精神が救われるかどうかの判断なのです。 そして、その判断をすること・自分で治療の選択ができることこそ、自己コントロールであり、それは物事の価値を的確にランク付けして、被害者の意識に負けることなく、自分の幸せのために「最善をつくす」ことなのです。
Vol.63(2005.03)
今回は具体的なステロイドの使用法について説明いたしましょう。
今までのお話で、ステロイドはやっぱり使いません、と断言できる方は今回意味がないかもしれません。(‥使わないんじゃないかな〜、ま、ちょと覚悟はしておこ、という方は参考にしてください)
まず、ほとんどのステロイド外用剤は、皮膚で抗炎症作用を発揮する持続時間は12時間くらいなので、外用の基本は1日2回、12時間おきです。 ずれるでしょうから、朝晩塗ってくださいと指導します。 塗る対象となる皮膚炎は、もちろんアトピー性皮膚炎の場合ですが、緊急避難の条件を満たすもの。
つまり、症状の強弱ではなく、今そこにある皮膚炎の存在が、自分の気持ちを乱してしまう場合、早寝早起き・充実感という治療の基本ができなくなってしまう場合です。
塗るステロイドの強さは、原則としてその部位の皮膚炎を十分に満足できるくらいに抑えられるステロイド外用剤の中でランクの最も低いものを選びます。
皮膚科医が選択することが多いですが、複数の外用剤が手元にあって、その強さの順番がわかっていれば、低いものから試してみればいいでしょう。(手元に複数の種類のステロイドがあるなら、その強さの順番くらいは確認して、知っておきましょう) ステロイドを長くやめていると、かなりハードに見える皮疹でも、弱いステロイドでよく効くことがありますし、逆に塗り続けていると軽そうな皮疹でも、強いステロイドがいることがあります。
継続して外用し漸減していく場合はともかく、緊急避難的に塗るときは、その皮疹をどれくらいのスピードで、どの程度まで抑えなければならないか(結婚式の日には皮疹ができるだけ消えているように、とか)によって、強さは選ぶべきで、吸収しやすい部位などで細かく分ける必要はありません。
塗る量は、対象となる皮疹の範囲全体に、薄くいきわたるように、ということです。 ただし、おっかなびっくり塗っても効果は出にくいので、塗るときはしっかり塗りましょう。
さて、次がステロイド外用法の極意だと思ってください。(あくまでもわたくしてきこだわりではありますが‥)
ステロイドの塗り方の極意は(というより約束なのですが)、1日2回塗った翌日に少しでも効果があればその日も同様に外用する!ということです。
つまり、1日塗ったらかなりよくなったのですぐ止めました、というのは賛成できません。 もう1日外用すればさらに状態が改善する可能性があるからです。
逆に、2回きちんと外用した翌日に効果が見られない、あるいは悪化している場合、これはその日はもう塗るべきではありません。
この約束を守れば、間違った外用は1日で是正されます。 では効果があればいつまで連続外用するのか? これも約束どおり、1日2回外用を続けて、前日と比べて変化が無くなった時が止め時です。
これによって、ステロイドの効果が最大限に引き出されます。 大体こうなる時期が1週間、遅くて2週間くらいです。 ステロイドの連続使用の期限は2週間とされているはずです。 その、最大に効いている状態が十分満足しうるものであれば、適正な強さのものを選択したことになり、物足らなければ、皮疹に対してステロイドが弱かったか、塗り方が不十分であった可能性が出てきます。 言えることは、ステロイドは外用して現状維持をしてはいけないということです。
もう少し続きます
Vol.64(2005.05)
具体的なステロイド外用の続きです。 塗り始めはその皮膚炎の存在がストレスを生み出して悪循環に入りそうな時、塗り終わりはそのステロイドではこれ以上よくならないであろうと感じた時です。 そしてこの連続外用の期間は1週間以内(長くても2週間以内)と説明いたしました。
では塗り終わった後は?
ステロイド以外の保湿剤や止痒剤などを使う、あるいは何もしない(塗らない)。 ステロイドオフのままなんとか過ごして、また自分の許容範囲をこえて皮膚症状が悪化すれば、また外用を始める。
以上がステロイドの外用サイクルです(あくまでも私が推奨している方法ですが)。
さてこのまま終わってしまったのでは、普通の皮膚科でのステロイド使用法の説明ですので、一味違った解説をいたしましょう。
この外用法の特徴は、常に皮膚状態が動いていることです。 塗りはじめから皮膚症状がよくなって、よくなって、よくなって‥ 底状態でステロイド中止のあとは、少しずつ悪くなって、悪くなって、悪くなって‥ 天井で(許容範囲いっぱい)また塗り始めて‥。
この動きがポイントなのです。 ステロイドのまずい使い方は(アトピーの場合ですが)「現状維持」だと思っています。 「現状維持」的塗り方の欠点は、まずステロイドが次第に効かなくなってくること。 これは経験された方も多いと思いますし、ステロイドの副作用の項で説明しましたが、外用を続けることで効き目が落ちてしまうのです。
その点、休薬日を入れるとまた効き目が復活するので、だらだら塗るよりもステロイドの効果をよく引き出せるのです。 そして、本当はこれが一番大切なポイントなのですが、この塗り方で注目していただきたいのが、ステロイドオフの日数なのです。
この日数こそ、今のアトピーの症状がどう動いているかをチェックできる目印になるのです。
「現状維持」外用の落とし穴は、外用を続けている限り、そのステロイドの強さがカバーできる範囲の皮膚炎を抑えてしまうため、現状で自分のアトピーがよくなっているのか悪くなっているのかがわからなくなってしまうのです。
そして、そのステロイドでは抑えられないくらいの状態になってはじめて、悪化していたことに気づくのです。 休薬日を作れば、悪化しているなら休薬期間が短くなるわけですし、よくなれば長くなります。 そして目指すのは、だんだん休薬期間が延びてきて、「1ヶ月たつけど、許容範囲だから塗っていません」と言える状況を作り出すこと。 これができれば、たとえ外用期間が年余にわたっていても、リバウンドに苦しむことなく離脱することができるのです。
ではこの外用テクニックを使えば誰でも簡単にアトピーが克服できるのか?
今までの苦労が水泡に帰すようなことを言ってはいけません。 続きます。
Vol.65(2005.07)
紹介してきたステロイド外用のテクニックは、ステロイドを塗りながら今、自分は悪くなっているのか、良くなっているのか、変わっていないのかをチェックできるということであって、この塗り方だと安全だと言っているのではありません。
結局、ステロイドは治療のお膳立てであって、治療そのものは今まで考えてきたことに他なりません。 ステロイドで症状がましになっている、そのチャンスを生かして、何かを変えてほしいのです。
何かって、何を変えるのか? 現在ステロイドを使っているという事実がある以上、現状で皮膚炎が存在しているということです。 ということは、何かの原因がそこにあるから皮膚炎が生じているということになります(すごい、3段論法だ!)。 ですから、原因を除くことが必要になるのです。
当たり前なのですが、常にこれを説明しなければならない現実があり、そのことがステロイドの離脱を妨げている理由のひとつになります。(今までに同じようなことをずっと書いてきているのです。 そろそろ気づかれたかもしれませんが、手を変え品を変え、何度も大事なポイントを刷り込んでいるつもりなのです。)
「対症療法」の説明でも62号の「緊急避難」でも繰り返しているお話ですが、「ステロイドは塗っている間はいいんですが、止めるともとにもどってしまうんです」という表現を何度耳にしたことか。 私的例示としてよく使うのですが、糖尿病とインスリン注射のたとえで、「インスリン射ってるときはいいんですが、止めるとまた血糖値が上がるんです」と訴えられる糖尿病の患者さんがおられるかどうかです。 病気に対するとらえ方の違い、原因除去における精神エネルギーの必要性、これがステロイドをして、アトピーを悪化させる要因であることを以前に説明しました。 そうすると、アトピーにおけるステロイドの具体的使用法は、テクニックを駆使した上で、今まで考えてきた、アトピーの原因除去の実践をしていくことと言えます。
‥そろそろ私の言いたいことが出尽くした感もありますので、次回からは「実践」にチャレンジして、本当の「徒然草」的にしていけたらな、と思っております。
Vol.66(2005.09)
ステロイドの考え方に関して、ちょっと補足を(また少し長くなるかも)。 最強のステロイド(strongest)を使っても症状がコントロールできなくなった患者さんに、どうなるかわからないという前提で同意していただき、入院・ステロイド離脱を行うと、ステロイドを外用していた時よりも皮膚症状が改善した事実があります。
それを踏まえて、淀川キリスト教病院から、アトピー性皮膚炎に対するステロイドの反応に注意すべき点がある、我々(医者)はステロイドの全てを把握しているわけではない、ということから医者に対してステロイド一辺倒の治療というものに警鐘を鳴らしたことが、数々の憶測と仮説を生み出してきたように思います。
我々(淀キリ皮膚科)は、ステロイドをやめていこうとする患者さんと一緒に協力して経験してきた中で、現状ではアトピーの原因は心身の疲労の蓄積であると結論しています。 そこから(まだブラックボックスですが)免疫系を介して、皮膚のバリヤー機能の破綻・患者さん個々の易刺激性が出現するとなれば、あとは環境因子をはじめとする物理的増悪因子で悪化する可能性はいくらでもありえます。
そう考えると説明できる事柄がいっぱい出てきます。 なぜ高度経済成長期の「公害」真っ只中でアトピーが増えなかったのか、なぜ戦後の混乱期など今よりももっと苦しかった時代にアトピーは増えなかったのか、なぜ一部の民間療法的なもので治るアトピーがあるのか、なぜその治療は別の人には効果がないのか、なぜ「俺のところへ来たらみんな治るはずだ」と自信満々に言い切る医者が複数出てきたのか、なぜ単純な方法(何かを飲んだり塗ったりするだけ)で「治る」という治療方法が生まれては消え生まれては消えしているのか、なぜ環境因子が全く変わらないのに気持ちの持ち方が変わっただけで症状がよくなるのか…
ステロイドが悪者になったのは、アトピーの原因除去には(現時点では)ある意味、本人の「精神的努力」が必要であること、その結果、外用を始めると「精神的努力」がおろそかになりやすいため、ステロイドの長期・大量使用に陥りやすく、さらにその結果副作用とともに病状の遷延・難治化という現在では医学的に公には認められていない、それでも現実に現れている反応にいきついてしまうからです。
それでも人間には外部からのステロイド投与に対してある程度許容できる適応能力が備わっており、時としてそれを見極めながら時間に限りある人生を有意義にするためステロイドを使用することは間違いでないと思います。
これらを踏まえて、淀川キリスト教病院では「(現時点での)アトピーとステロイドのかかわりあいの問題はクリアしている」と考えています。 医者の間で、「使うのがいい」「使うのは間違っている」などというレベルの話はもうしたくないのです。 今後、医学が発展し、それにともなってさらに詳しい原因究明がなされることでしょう。
しかし「火の鳥」ではありませんが、ミクロの中にはさらに「宇宙」に近い無限の世界が広がっており、神ならぬ限り「森羅万象」を説明するなど不可能でありましょう。 少し何かがわかって騒ぎ立てても、また近いうちにそれを否定する証拠が見つかり、またそれを…と「塞翁が馬」の世界になるでしょう。
それでも病気・症状は待ってくれませんので、一番大切な「ミクロ」ではない「マクロ」な患者さんの生活をより快適なものにする努力を続けなければなりません。 そのためには、我々臨床家は、勝手な仮説を立てることなく、真摯に患者さんの症状を追いかけて「事実」と「経験」を積み重ねて、それを臨床の場にフィードバックさせて治療にいかさなければならないでしょう。
(…この話、続くかもしれませんし続かないかもしれません。)
Vol.67(2005.11)
さてこの原稿が出る頃はもう涼しく、いや寒くなっているのでしょうか?
この時期になると「汗が出なくなってやっとましになってきました」とか、「月がかわったらいきなりカサカサになってしまいました」とかよく耳にします(いきなりカサカサになったりするんだろうかと思うのですが、本当に一夜にしてカサカサになったりするんですよね)。
環境因子で症状が左右されるのはよく経験します。 ですが、秋には基本的に良くなる人が多く、増悪しても春ほどではないという印象があります。 秋は気温でみると徐々に暑い状態から寒い状態へ移る時期です。
そうするとその状況に対して、動物は心身ともに緊張を増します。 緊張状態へ進行していく時は、再び暑さがぶりかえしても、それが急に緩んでしまうことはありません。 この「緊張」状態が病気を起こしにくくしているのだと思います。 「夏の疲れが出る」ということもありますが、疲労が蓄積して症状が現れる時は大体この「緊張」が緩んだ時なので、秋は比較的軽くすむのではないでしょうか。
春に悪くなる場合はどうでしょうか。 春は寒い状態から暖かい状態へ移る時期ですから、緊張が強い状態から緩んだ状態へ移ります。 ですが一直線で暖かくなるわけではなく、三寒四温のごとく、ゆり戻しを繰り返しながら徐々に暖かくなります。 秋とは異なり、この時は緊張が緩む方向へ進んでいるので、急に寒の戻りにさらされても、すぐには緊張が戻らないために体調を崩すことが多くなります。
そしてご存知のように春は(日本では)社会的に動きの多い時期です。 3月は年度末の忙しさ、4月は新体制での慣れない人間関係からのスタートなど。 それを「緊張感」で乗り切っても、5月のゴールデンウイークで気を緩めた時にどっと悪くなる方をよくみます。
これらを総合するとやはり秋よりも春の方が悪くなりやすいのかな、と思います。 しかし、季節の変化は避けられないわけですから、環境因子としての増悪がわかっている場合は、無防備にその状況に飛び込んでしまうのではなく、前もって対応を考えて実践していただきたいと思います。 つまり内からの防御能を高めることです。
生活リズムと食生活、充実感を高めるための目的意識とリフレッシュタイムの確保など、今までいろいろ述べてきたことそのものです。 その点からみると、秋は身体的に「冬に備える!」という無意識下の目的に向かっているため、春より強いのかもしれません。
Vol.68(2006.01)
寒くなると極端に寒くなりますね〜。皆さん調子はどうですか? さてお正月を過ぎて悪化する方をしばしばお見受けいたします。 これはなぜでしょう?
思いますに、お休みする(休むことのできる)期間が結構短いにもかかわらず(せいぜい1週間くらいですか、いやもっと短いですかね)、年末と年始に分かれて雰囲気が異なり、特に大晦日と元旦の非日常的な状況が我々を否応なしに特殊な環境へ引きずり込んでしまうからではないでしょうか?
別に引きずり込まれても困るわけではありませんが、その後の社会復帰が急激に行われてしまうので、いわゆる「おとそ気分」が抜けない状態で日常に戻らされてしまい、気持ちにアンバランスが生じてしまうのだと思います。 加えて、正月の高カロリー状態と運動不足も悪化要因でしょう。 ですから、できることなら、お正月を楽しみつつ、いい意味で今後の仕事・生活のスケジュールを決めて、気合いを入れなおすのが大切かと思います。 「1年の計は元旦にあり」。
とにかく、春・秋の違いにしても、正月の増悪にしても、悪化する理由はあるはずです。 毎年の恒例行事として「悪化」を経験しておられる方は、あきらめないで、その理由について考えてみてほしいのです。 それが乾燥や暑さなど「自然現象」が相手である場合は、前回も書きましたが、増悪因子の相手が手ごわいなら防御能を高めて対決しようという心構えでいきましょう。
早寝早起き腹八分とメンタル的な充実感。 リフレッシュが必要なら増悪が少ない時期よりももっとリフレッシュタイムをとる努力をしましょう。 朝30分早く起きてぶらぶら歩いてみるのも何か新しい気分になれることもあります。
増悪するとわかっていてその状況に飛び込むのは何か根本的な問題がそこにあるようです。 前から書いていますが、皮膚病に対する思い入れの違い。 「皮膚病は邪魔でしかない」という受け入れられない状況がそこにあるので、自然体で皮膚のために何かすることがなかなかできないのではないでしょうか。
リフレッシュする時間を作る「努力」をしなければならない、目標や目的を持って生きる「努力」をしなければならない‥ こういうことがアトピーの本質を探る上でのポイントになってくるのだと思います。
さて、次回は民間療法などについて考えてみたいとおもいます。
Vol.69(2006.03)
民間療法について色々考えてみます。 まず民間療法というものも色々ありまして、全部ピックアップしてあーだこーだ言うことはできません。 基本的には、保険適応になっていないものを使用して治療にあてることを私的に民間療法とさせていただき、考察してみます。 さて、その中には日本の伝統的なもの、他の国の伝統的なもの、新しく作り出されたものなどがあります。 そしてそれらの中で有効なものとは、そのものにある種の抗炎症作用があるもの、免疫能を活性化させるもの、摩訶不思議なものに分かれるでしょう。
では抗炎症作用があるものとは? これは活性酸素を除去するスカベンジャー作用を有する物質が主体で、例えばびわの葉であるとか、アロエであるとか、紫蘇であるとか、その他色々あります。 結論から言えば、これらの抗炎症作用の中で、ステロイドを凌駕するほどのものは、現在のところ見当たりません。
抗炎症作用ではステロイドにかなう民間療法はないといえます(この世の全ての物質をチェックできるものではないので、将来ステロイドを凌駕する抗炎症作用をもつものが発見・合成される可能性はありますが)。 でも十分に効いた!という方もおられるでしょう。
全く同じシチュエーションでステロイドと民間療法で使われているものを、それとわからないようにして使用すればまずステロイドの勝ちでしょう。 ところがそこにメンタルな部分の干渉が入ると、その効果に変化が出てきます。 ある原因でアトピーが悪化したとします。 本当は今まで書き続けてきたように、そういう時こそ、「皮膚が悲鳴を上げているからリフレッシュしよう」と考えていただくのが最良の治療なのですが、だいたいはステロイドなどの力技で抑えようとしてしまいます。
一時的であればいいのですが、それが長引くと、ステロイドを増やしたり強めたりしたことに不安が募り、それがまた増悪因子になってさらに皮膚炎が増悪してしまう悪循環になってしまいます。 その状態では皮膚炎は増悪する勢いがあるために、その程度の皮膚炎であれば十分効くはずのステロイドが効きにくくなったりします。(さらにステロイドをこわごわ、あるいはいやいや使っていたらなおさら効きにくい状態になります)。
そこで民間療法にチャレンジしたとします。 まずお金を出して受ける場合は、大体その治療に自信をもった「先生」が、「もう大丈夫、これでかならず治る!」と断言してくれます。 色々な不安な質問を、「実際に治っている」という言葉で笑い飛ばされてしまうと、何か救われた気持ちになって、その時点での「不安」な部分の増悪が止まったりします。
そして「これで助かる」(というよりは「助けてもらえる」)という気持ちになって、症状を丸投げできるみたいな安心感が生まれると、一気にメンタル的な増悪の悪循環が断たれることになります。 そうすれば、それだけでも十分よくなる状況が現れます。
そこに若干でも抗炎症作用のある物質が投与されれば皮膚炎は少しよくなってくれるので、「ステロイドでも効かなかったのにこれが効いた!」状態になります。
これが抗炎症作用はステロイドより弱いのに、ステロイドよりアトピーに効いたという一つの理由の考察です。 このまま良くなって、もうその物質と縁が切れてくれれば問題ないのです。 最初は今まで暮らしていた日常が、皮膚炎がよくなったことで、どうでもいいことがとても楽しく感じられるようになり、「非日常」に変化してストレスレベルがぐーんと下がるでしょう。
そのため、しばらくはその民間療法からも離脱できる場合があります。 しかし本当は、「のどもと過ぎれば」の言葉のごとく、皮膚炎がましな状態に慣れてしまって、「非日常」が「日常」に戻った時がポイントなのです。
アトピーの根本原因が、日常の中に潜む疲労であったり、心の張りの欠乏であったりすることに気づいておられない方は、戻ってきた「日常」に対して、さらに楽しく生活していく工夫がなされなければ、皮疹の再燃の憂き目をみてしまうでしょう。
その時には、純粋な抗炎症作用だけが求められて、民間療法の物質ではステロイドほどの効果が得られなくなってしまうでしょう。
これが、抗炎症作用をうたい文句にしている民間療法が群雄割拠するわりに全国レベルに広がらない理由だと思います。 本当にステロイドを凌駕するほどの効果があるものが使われていれば、この情報の社会においては、一気に全国に広がっているはずです。
ではお金をかけずに自分でやってみた場合は?
思ったより長引いてしまいました、続きます。
Vol.70(2006.05)
さて自分でやってみようという場合は?
その療法におけるカリスマ的指導者が現れないという状況では、その効果に関しては比較的冷静に判断できると思います。 冷静な判断の下で、ステロイドと比較して「ステロイドより効かない」と考えればもうやめてしまわれる方も多いでしょう。
「ステロイドよりは効かないけれど、ステロイドではないのに少し効いた気がする」と考えられた方は、これで治そう、というよりは、これを利用して少しでも楽な状態を作って楽しい生活に近づけようという発想に行き着けば、その民間療法は意味を持ってくると思います。
ただ症状がひどい場合は、精神丸投げ的安心感が得られない限り「少し効いた気がする」ほどの効果が得られる物質はなさそうですが‥ さて、免疫能を活性化させるものとは? これは科学的・医学的に立証されているような、いないような不完全なものも多いのですが、伝統的な治療法があてはまるようです。
断食や湯治などを考えてみます。 抗炎症作用のある物質の場合は単純にそれを使用するというだけですが、これらはある意味体を張った治療とも言えます。
断食については、当院に入院された方の中に5日間の絶食治療をされた方もおられるでしょう。 この意味するところは色々ありまして、まずは外部からのエネルギーをシャットアウトすることで、皮膚炎という戦争をしている体の兵隊(リンパ球など)に対して兵糧攻めを行うということです。 皮膚炎状態の皮膚は熱を持って赤くなっていますが、これはエネルギーを消費しているということです。 絶食にすると体はエネルギーを生命維持の優先順位の高いものから配分していく(脳や心臓など)ので、炎症にエネルギーが回りにくくなるのです。
そして体は飢餓状態(かなりプレではありますが)に対して、副腎を刺激しステロイドを分泌させ血糖を高め、脳の反応を鋭敏にして動きをしなやかにします。 野生動物で言えば一瞬のチャンスを待って獲物をとらえ、その栄養を120%利用する準備をします(このあたりはかなりはじめの方の原稿で書いた記憶があります)。
さらに鋭敏になった脳は、暗示性が高まって色々な心理療法に反応しやすくなります(これは10日間の断食を行う心理療法が実際に存在し、実践されているところがあります。 心理療法のアマチュアが手を出せる領域ではなさそうなので本だけ読んでみました)。
当院でやっている5日間では、一時的な炎症の低下を示すにとどまる場合もありますが、「一つのことをやりとげた」という達成感が持続的によい効果をもたらす時もあります(統計的データがなくてすみません)。
湯治ですが、これも複数の意味があります。 泉質によって色々な効能があることはご存知のことと思います。 炭酸水素ナトリウムが保湿力を高める、炭酸ガスが殺菌作用と末梢循環改善作用がある、硫黄のぬるぬる感が肌にいい、などなど。 ただし実際に皮膚にあっているかどうかは入ってみないとわからないようです。
単純アルカリ泉がよかったとか、硫黄泉でないとだめだったとか。 実際の保湿力が外用剤に勝るか、抗菌作用が抗生物質に勝るか、とか考えれば物質レベルでは保湿剤・抗生物質の勝ちでしょう。しかし、抗炎症作用のある物質のところでもお話したように、生物学的・肉体的・精神的に考えると、湯治の転地療法的側面、気分的なリラクゼーションの効果、副作用などの問題から離れられる安心感、治療しているという自覚の下での規律正しい生活・自炊の効果などの総合的なもので湯治が勝る可能性は十分にあります。
問題は効果が出た時の自己考察で学ぶべきものがあったかどうか。 純粋に温泉の効力と思ってお湯だけ持ち帰っても効果は期待できないかもしれません(初めからお湯だけ使っていたなら話は違いますが。 その場合は今回の最初に挙げた、カリスマ的指導者不在の抗炎症作用をもつ物質の場合と同じです)。
しかしながら、湯治の本当の意味については、今まで挙げたようなのんびりとした甘〜いものではなく、もっと厳しいもののような気がします。だらだら続いてしまいます。
Vol.71(2006.07)
湯治にしても断食にしても、その歴史の中には今では想像できないような厳しい状況があったと考えられます。 医療を当たり前のように受けることができなかった時代、疾患は自己責任で、命がけで治さなければならないものだったでしょう。
湯治であれば、いったんは湯あたりを起こさせて、体がしんどくなってからゆっくり回復する過程で抵抗力がついてくるものと聞きました。 これは、もしその負荷に対して個体が耐えられなかった場合、最悪「死」と隣りあわせであるということです。
つまり、断食も湯治も、一か八かの真剣勝負であったと言えます。 その中で体が自然治癒力を引き出すだけの力を有していた個体が生き延びて、それに至らなかった個体は残念ながらその治療の過程で命を落とすことになっていたのでしょう。
自然治癒力という、一見甘美な言葉の裏には自然淘汰という影が潜んでおり、その治療は個体の潜在能力に左右されるということを忘れてはならないと思います。
それは究極の自己責任です。 アトピーの場合は臓器障害があるわけではないので、大体のハードな民間療法には耐えうることが多く、さらにその荒療治の中で、「治るために耐え抜く」という精神的目標が生まれてくれば、「ストレスに対する心のはり」という、私が主張してきたアトピー治療の本質に近づくため、おのずと快方に向かうことでしょう。
「伝統的治療法でアトピーが治った」状態が生まれるのです。 しかし、その後に寛快状態が維持できるかどうかは、その精神的強さが、「日常」に復帰した時に常に存在しているストレスに対して「心のはり」として機能し、ストレスを、それを乗り越えた時に経験値として自らを強くするものに変換できるかどうかが極めて重要なポイントになります。
復帰した当初は、69号でも書きましたが「日常」が「非日常」的にすばらしいものに感じられるため、しばらくは寛快状態が維持できるでしょう。 さらに、ハードな状況にさらされた個体は副腎からのステロイド分泌が亢進するため、しばらくはストレスに対する抵抗力が増しているでしょう。
しかし、(繰り返しになりますが)日常生活が「非日常的」でなくなったとき、その状況の中に「目的」「夢」「憧れ」「こだわり」を生み出す精神力がなければ、再びストレスがアトピーを生み出してくる可能性は十分にあります。
結局、伝統的治療法でも最後は個の強さ、「精神力」が問われることになるのです。
Vol.72(2006.09)
最近、食事の内容について、農林水産省が「食育」という言葉を使用しながら、主食を中心にバランスよく食べることを推進しようとしています。 バランスという言葉は便利なもので、私も良く使うのですが、現実には何をどうとればバランスがよくなるのか、実際はどうなのでしょう?
食事バランスガイド(2005年7月に厚生労働省と農林水産省が策定)というイラストが描かれた冊子など見ると、ご飯を主食にして主菜・副菜の合わせ方など載っており、いわゆる日本食を勧めているようです。 私も、外来で「何を食べたらいいのでしょうか?」と聞かれますと、大体「煮魚定食みたいな和食中心で食べはったら?」などとおおざっぱに答えるようにしています。
?型アレルギー反応(食べて1時間以内に蕁麻疹・呼吸困難・血圧低下などの症状がでること)が出なければ、基本的には何を食べてもいいのですが、より体のためという意味での「食事のアドバイス」があります。
もう少し詳しくアドバイスするなら、3度の食事を大体時間通り食べること、肉と魚なら魚を重視してもらうこと、野菜はサラダよりも煮たり炊いたりしてかさ高く食べてほしい、甘いものや果物・スナック菓子・清涼飲料水などは極力避けて、食後のデザート的に食べてほしい。
ただし、仲間と一緒に何か(間食として)食べようとする時などは構いません。 一人でいる時にガバガバいかないようにということです(一人で間食したくなるということ自体、ストレスがたまっているという一つの表れであるとも言えます)。 不飽和脂肪酸のαリノレイン酸を含む食べ物は炎症を抑えるという点で、積極的に摂る事をお勧めします。
さて… 食べ物の話かなと思われたでしょう。 以上は外来でのアドバイスで、初診の方にしょっちゅうお話していることです。 今回からは、さらにアトピーの混乱の謎解きへチャレンジしていくために、「事実」と「考察」というものについて考えていくことにします。 これは「情報」の処理の仕方という意味だけでなく、「不安」「希望」というキーワードの中で、私も謙虚になって、「真実」というものが果たして何なのか?というだいそれた課題にとりかかってみたいと思います。
そこで「食事」を例にあげてみました。 私のアドバイスの中で、例えば皮膚炎に対して医学的効果の根拠があるものと言えば、αリノレイン酸の摂取くらいでしょうか。 それ以外のアドバイスは、ダイレクトな効果というよりは間接的なもの、「体を健康に保つ」ということを重視したものと言えます。
さて、このアドバイス対して、病気へのサポートとしてとらえる患者さんと、アトピーの原因治療としてとらえる患者さんがおられます。 そして、アトピーは食事を正せば治ると、断言している「本」もあります。 さてさて、食事に関する情報を整理してみましょうか。 そこから、少し違った観点からその「情報」を分析してみます。 続いてしまいます。
Vol.73(2006.11)
食事の情報と言えばどのようなものがあるのでしょう?
本屋さんに並んでいるものには、体にいいもの、各種疾患別の食事療法、やせるためのもの、など様々です。 この際ダイエット関係は無視することにして、医療的なものを中心にみていきます。
ここで、「食事」と「食物」を分けて考えなければなりません。 食事とは食物そのものを指す場合と、物を食べる行為を指す場合とがあり、ここでは「食事」を食物とそれを摂取する行為全般を意味するものとさせていただきます。
まず「食物」です。 一番良く目にとまるものは、「これがいい!」と一つの食物を取り上げて勧めているものです。 このパターンはダイエット的な本に多いのですが、健康志向では逆に全般的な食物の栄養素や成分を分析して説明されているものが一般的なようです。 さて、前号でも書きましたが、アトピーによい食物を考える章ではなく「情報」の分析の章であることを確認しておきます。
栄養素や成分について分析されて書かれていることは、大方は現在の栄養学に沿って説明されており、現代の食生活の問題点を指摘しながら、バランスのよい組み合わせなどを紹介したり、各種疾患においても妥当な内容を提示したり(こんなもの食べるの!?的なものではなく、だいたい一般常識的な成人であれば納得できるような内容で)しているものが多く、これらで情報パニックを起こすことはないと思います。
これらは、既に完成されている「栄養学」というものに準拠しており、それを読者に分かりやすく伝えるという、きわめて良心的な情報発信と思われるものです。 これらに関しては、これから考えていく「事実」と「考察」というものにおいて、現在すでに学会レベルで認められていることを説明しているだけなので、「事実」「考察」ともに省かれていることが多いのです。 ただし、これらの情報に欠けているものがあるとすれば、「面白みがない」ということでしょうか。
「栄養学」に沿った説明は常識的すぎて、「サプライズ」に乏しいのです。 そこで、ある一つの食物などを取り上げて、「これが効く!」的な本が一番目にとまったりするのです。 これは、「サプライズ」であるが故に、ある意味既存の栄養学に対して新知見を述べているとも言えます。
さて、ここでこれらの「新知見」情報の取り扱いがポイントになります。 多くは、なぜそれが効くと考えたか、という記述があるはずです。 そして、その効果が現れる理論と実例が示されて、実際使用してみてよかったという経験者の喜びの声などが紹介されているパターンが多いかと思います。
結論から申しますと、その本の「情報的価値」は、最初に思いついたきっかけとなった出来事と、実例の記述にのみ集約されていると言えるのです。
どういうことか? すみません、続いてしまいます。
Vol.74(2007.01)
「食物」での「情報」についてのお話でした。
面白い「情報」には、そのきっかけとなった出来事と実例の記述にのみ「情報的価値」がある、と前号で申しました。
「情報」には「事実」の部分と「考察」の部分があるのです。「事実」とはそのまま実際に起きた出来事です。
ある患者さんが「自然食」を取り寄せるようになって、みちがえるようにきれいになった、という「実例(事実)」があります。 これに対して、「アトピーは食事の内容で大きく変化する、食事内容をただせばアトピーは治る」と結論したとすると、この「」は「考察」となります。
もちろん、この結論に至るまでに様々な検証が入るわけですが、その検証も含めて「考察」はあくまでも「仮説」なのです。
特に「栄養学」を超えて、つまり十分なコンセンサスが得られている「考察」を超えて、新しい「発見」を述べられている場合には、かなり注意が必要です。 「考察」は、たとえどんな名医が述べたものでも、「真実」を含む可能性を残しながらも、現段階では学会・教科書レベルのコンセンサスは得られていない「仮説」でしかないということです。
だいたい自然科学の領域で「真実」など、神ならぬ身の知る由もなし。 分子レベルまで判明していることでも、更にその細かいところで小宇宙に匹敵する「事実」が隠れているならば‥
結局は、複数の専門家が妥当なところである程度確立した自然科学的常識を作っていき、栄養にしても、疾患にしても、ほぼ間違いはなさそうなレベルの対応をしているのです。
ところが、「情報」は「事実」だけでなく、ある程度無責任な「考察」をからめることで「真実」のような錯覚を与えてしまうのです。 自然食にしても、決してそれが悪いわけではないのですが、それだけがその人のアトピーを治したのかというと、そこには語られていない無数の「事実」が存在し、因果関係を形成しているはずです。
本当に新しい「発見」として信頼を得るには、そういう個々にまとわりつく「事実(事情)」の影響を極力受けないように、多数の(事情の異なる)症例を集めて、共通の条件を「自然食」にのみ絞って、結果が良かったかどうかを判断しなければなりません。
「情報」を見るときには、その「考察」の根拠について考えなければそれこそだまされてしまうことになります。 「情報」のもつ「事実」の部分と「考察」の部分を見極めて、信頼できるものかどうか、判断しなければならないのです。
これが結論ですか? とんでもない、これは「序章」です。 「アトピー」には「そういう判断をしなければならない『情報』」が山のようにあります。 そこには「矛盾」もあり「強気な主張」もあります。
その「情報」の多さの意味、玉置先生・藤澤先生がともに指摘されている「不安」の意味(私的解釈ですが)、「バランス」という便利な言葉の裏にあるその奥の深さについて、私なりに考えていきたいと思います(「考察」です。 だまされないように)。
Vol.75(2007.03)
とにかく「情報」が多い。
この現状について、とやかく言えるものではありません。
世の流れに逆らって、「情報」を制限しろ、とは言えません。
それは、やはり「表現の自由」や「言論の自由」に抵触してしまうからです。 そうすると、「情報」から身を守るのは「自己責任」になります。
はてさて、妙な事を口走っております。
「情報」から身を守るとは? 「自己責任」とは? これらの事について「考察」していきます(このことについては、59号で「情報」と「不安」について、簡単に触れた時に出てまいりました。 ここではもう少し深めてみたいと思います)。
アトピーに関する「情報」については後ほど検討することにして、まずは総論的にいきます。
インターネットは検索すれば、いくらでも関連のある「情報」を提供してくれます。
こんなご経験はありませんか? あるものを検索していて、「こんな事知らなかった、大変だ!」と。 知らなくて本当に大変な事になってしまうのは、自然災害の情報とか、交通情報とか、ごく限られたものではないかと思うのです。
「消費者の『ニーズ』にお応えして」という言葉を、新商品発表の時などに聞きますが、「ニーズ」とは何でしょう? 「ニーズ」=必要、要求、需要(広辞苑)とあります。
「情報」もまた本来「ニーズ」にお応えして存在するべきものでしょう。 「情報」とは、その人がある目的のために求めるもので、それが得られる事によりその人がより「幸福」になるべきものであると思うのです。
社会はとどまることを知らぬかのように(おそらくとどまらないでしょう)、発展し続けています。 すると、当然のことながら、その発展は「情報」として発表されて、世間に広まっていきます。
もちろん、その発展の根底は、人類の幸福のためであるはずです。 けれども、ある時その発展が、「ニーズ」に応えているという一線を越えて、「欲望」をみたすものに変化してしまう事があるような気がします。
そして、そのとどまる事を知らない発展の中で、人は自分が気付いてさえいない「欲望」に、「情報」によって気付かされてしまうのではないでしょうか?
消費型経済の罠の様で、実は人のサガなのかもしれません。 生活に取り入れて便利になる、というプラス上乗せ型の「情報」ならまだ「利用」しやすいのですが、「今までのやり方では、実はこんな危険がある!」というようなネガティブなものがやっかいなのです。
冷静に考えれば、「危険」になる確率は3億円当たるより低い場合もあるのですが、「知ってしまった」ために「不安」になるのです。 更に、「新知見」なるものが、ある分野のディープな部分を掘り起こして、「生きていく」「生活していく」ことの全てに専門的知識が要求されるような「錯覚」を呼び起こしているような気がするのです。 ]
何も「情報」をつかめなければ、生きていく上でどんな「損」をしているかもしれない、どんな「危険」さらされているかしれない、と「不安」は増大していきます。 そして、「安心」を得るために更に「情報」を集めようとしてしまうのです。
「情報」とは、前号で書きましたが「事実(「真実」の一部を映している鏡)」と「考察(私を含む発信者が勝手に想像している「真実」の幻想のようなもの。 「真実」を含む可能性もある)」との合体であり、その矛盾によって身動きができなくなってしまうことがあります。
怖いお話ですが、程度の差はあれ、皆さん似たような事を体験されていませんか?
次からは、この状況に陥る、本当の理由について「考察」してみます。 何度も申し上げますが、「考察」です。 だまされないように。
Vol.76(2007.05)
皆様にお知らせしなければならないことがございます。
今回、前号の続きでぼちぼち私めの考えを整理していこうかと思っておりましたが、とある理由でしばらく「おあずけ」ということで、皆様にはフラストレーションを溜め込んでいただくことになりました(それほど期待しておられませんか‥)。
とある理由とは、こちらが重要なのでございますが、この度この「アトピー徒然草」をリニューアル・全面改訂して「本」にして売ろうという企画を立ち上げてしまいました。
山下君とこそこそ出版社へ出かけて企画をつめておりますが、現在連載中の話題が「本」と重なることになってしまい、こちらの本文はインターネット上で公開しているため、「本」としてのオリジナリティーを保つためには「結論」部分は「本」で読んでいただこうかと(最近の「ドラマ」→クライマックスは「劇場映画」のパターンみたいですね)。
内容は、私が淀川キリスト教病院に来てから、玉置先生から教わったこと、患者さんから教わったこと、私が勝手に「考察」していることを、「本文」のようにだ〜らだ〜ら続けることなく、できるだけテーマごとに分けてまとめてみました。
興味のある方は、無事出版のあかつきには、是非是非ご一読いただきますようにお願いいたします(順調に行けば、今年の後半には限られた書店にひっそり並ぶ予定です)。
というわけで、別の話題で進めていきたいところですが、新たに話題を書き始めますと、それも「本」に加筆したくなってしまいますので、誠に勝手ではありますが、この「アトピー徒然草」の「本文」はいったん休載させていただきたく思います。
充電期間をおいて、出版後には再開したいと思っている次第です(隔月発行ですので、2,3回の休載で何とかなるかとも思います)。
また、書きたいと思っておりますので、しばらくのご猶予をいただきたいと思います。
ではでは。
Vol.79(2007.11)
お待たせしました(待ってないか‥)。
やっと「アトピー徒然草」の本が完成し、ぼちぼち発売になります。 現時点ではどこの本屋に並んでいるのかわかりませんが、どの本屋さんでも注文はできます。
今は「アマゾン」で注文する方が早いのでしょうか? 「新風舎 『アトピー徒然草』 中村敬著」ということで。
内容は、かなり整理させていただいたつもりです。 今までのお話とはあまりかぶらないように、新しく作り直しました。 淀キリで入院されたことのある方なら、朝の回診での玉置部長の、ある意味ダイジェストなお話を、私が拡大解釈しながら夕方患者さんに再度説明していた内容に近いと感じられるかもしれません。
私なりに淀キリの治療とその意味、患者さんから教えていただいた事をまとめてみたもので、興味のある方は是非手にとっていただければと思います。
なにとぞよろしく。
こちらはこちらで新展開しなければなりません。 ただ、5年分くらいのネタを凝縮して書いてしまったため、新展開させるには少々工夫がいりそうです。
次回から、エネルギーが残っていれば再スタートいたしますです。
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