中村敬先生(淀川キリスト教病院皮膚科)

宗教法人 在日本南プレスビテリアンミッション淀川キリスト教病院
http://www-new.ych.or.jp/
大阪市東淀川区柴島1丁目7番50号
フリーダイヤル:0120-364-489
TEL:06-6322-2250 (代表)

中村先生は月曜日、火曜日、金曜日の午前中勤務です。
要予約となっております。

あとっぷ連載のエッセイがついに書籍化!
(書籍化によってさらに手が加えてあります)

患者さんから学んだアトピー性皮膚炎の本質と、著者の恩師
「脱ステロイド療法」の生みの親・玉置昭治先生
「治療は患者さんとの共同作業である」
という言葉の意味を解説しています。


ご寄稿文

アトピー徒然草2
続・アトピー徒然草
ブログ版アトピー徒然草

会報あとっぷ掲載の「アトピー徒然草」

これは、目次です。気になる項目をクリックすると本文に移動できます。

アトピー徒然草1

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Vol.10(1996.5)

アトピー徒然草(勝手にはじめてみました)

今回は東洋医学についてゴチャゴチャ述べてみたいと思います。
西洋医学が人の体を精密機械に見立てて、それを修理するという立場をとるのに対して、東洋医学の基本は人の体の中の「流れ」の「乱れ」を整えることにあります。

「流れ」とは「気」の流れであり、疾病はその流れを妨げるもので、病の「気」、「病気」となります。
「流れ」の道筋は経絡と呼ばれているもので、そのターミナルにあたるものが「経穴」、いわゆるツボになります。
診察はまず患者さんの「証」を見るため問診、触診を行ない、「虚実(体質の強弱)」「陰陽(生命反応の強弱)」を判定し、経絡の証及び「気・血・水」の異常を予測して治療に入ります。

経穴を刺激することで経絡の流れを整えるのが「鍼灸」であり、生薬をその証に応じて処方するのが狭い意味での「漢方」(本来漢方とは日本における中国系伝統医学の総称)です。

ややこしいですが何をしているかというと身体全体の調和を保つことで疾患を治癒に導くという立場です。
非常にマイルドな考え方で一般受けするのですが、イメージとして漢方=マイルド、東洋医学=神秘・奇跡、というものを期待する人が多いのではないでしょうか。

しかし東洋医学の神秘性に魅せられてその道に進んだ友人もいましたが、途中で止めて西洋医学に戻ってきました。
その大きな理由は東洋医学の本質が経験と伝統であるため、自由な発想が行ないづらいということでした。

つまり複雑な分類の中に患者さんの症状を当てはめ、受け継がれてきた処方の「定石」というものの範囲の中で治療を行ない、勝手な処方は戒められるのです。

西洋医学が病名にこだわりすぎたり、患者さんの体の一部しか診ていなかったりするのに対して、東洋医学は患者さんの全体を診てそのバランスを考えるというのは大事なのですが、その「全体」とは自由に医者が判断するのではなく、西洋医学が足元にも及ばないほどの膨大な分類にあてはめ処方を決めるのが本当なのだそうです。

秘術を代々伝えていく発想に似ており、東洋医学の勉強はこの膨大な先人の知識を叩き込むだけで相当な苦労なのでしょう。修行と言うほうがいいかもしれません。
(次号に続きます)

Vol.11(1996.7)

アトピー徒然草(前回の東洋医学の続きです)

東洋医学というと範囲が大きいので漢方薬に限定して考えてみます。
前回お話しした通り、漢方薬はかなり処方に対して制約があります。そして新しい処方を組み合わせ、思い通りの反応を起こさせることは、達人の域に達した漢方医でなければ行なえないことなのです。

そのわけは、漢方薬の成分は分かっていても、その薬理作用がはっきりしていないために組み合わせによっては大きな副反応を起こす恐れがあるためです。
そのため漢方を併用している西洋医学の医者のほとんどは、ツムラやコタローなどの製薬会社が作った標準的なエキスを利用するにとどまるのです。

その中で薬理作用のだいたい分かっているものと、それに対応する西洋薬とを比較すると、作用の強さは西洋薬の方がまさると思われます。同時に副作用についても西洋薬の方が強いようですが、その強さもはっきりしているのです。
そのためある症状に対して、使用する量や期間、副作用対策が計画できるのです。

したがってある症状に対してはやはり西洋薬の方が有利といえます。漢方薬は本来、ある症状に対してではなく、全体のバランスから処方されるべきであり、「証」を決めずに部分的な症状に対して使用することは余り好ましいことではないのです。

ただ、マイルドな効果を期待するときに、薬理作用の分かっている漢方薬を使うことはよくあります。

以上から本来の漢方処方は過去のデータの集積から導かれるもので、それを超えるためには卓越した知識と経験を有した名医でなければなりません。
成人アトピーはある意味で新しい特徴を備えた疾患であり、特に精神的なストレスが問題となるものです。
漢方処方においては全体を見るのが基本ですが、精神・心理まで踏み込むとなると従来の診察法だけではっきりするのでしょうか?

東洋医学の哲学から精神的なこともすべて「気」によって現れるため包括できるはずですが、そこまで極めるにはかなりの力量が必要になると思います。
漢方の先生も西洋医学との併用を積極的に取り入れようとしていますし、西洋医学でも漢方の薬理作用を研究しています。
うまくお互いが高めあっていければと考えます。
(イギリスの論文に、中国の有名な会社からとりよせた漢方薬の成分を分析すると表記されたものとは異なる不純物がかなり混ざっていたとの報告がありました。少し寂しい気がします。)

Vol.12(1996.9)

「ストレスを減らしましょう」と外来で話していても、すぐに思いあたるという方と、ストレスといってもピンと来ないという方がおられます。

ピンと来ないという方に質問を変えて、「今、快適にすごせていますか?(アトピーであるというストレスを除いたとき)と聞くと、そうでもないな、という回答がよく返ってきます。

「不満があるのでしょうか?」と聞くと、よくわからない、という回答が多いように感じます。
そのため最近ではアトピーの治療の基本は「ストレスの除去」とはいわずに「快適な生活」であると話すようにしています。

じゃあ快適な生活って何でしょう?
「ストレスのない生活」…これでは堂々巡りです。
小さな不満やいらだちを、理性で割り切ってしまうと自分では気付かないうちにストレスとして貯め込んでしまうものです。

では、小さな不満やいらだちをむしろ意識してそれをなくすように努力することがよいのでしょうか?

100%のうち80%満たされたとき、80%に対し喜びを感じる人と、20%の不満にしか目がいかない人がいます。

後者の人はその不満が10%になっても「90%満たされているのになぜこの10%だけが・・」というようにストレスレベルはかえって高くなることもあります。

前者の人は80%に感じた喜びの勢いで、100%、120%と満足が膨らんでいくこともあります。不満のネタは捜していくと数えきれないくらい出てきます。

捜さなければならないくらいなら、不満など捜さなくてもいい。同じ捜すなら快適のネタを捜す方が気持がいいのではないでしょうか?「何がストレスなんだろう、何が不満なんだろう」走り続けている人は、一度こうして立ち止まり、ゆっくり振り返ってもらうことができればそれが一番いいのですが、「立ち止まれない、何がストレスなのか考える余裕がない」そのためにステロイドを使いながらも走り続けている人も大勢おられることでしょう。

そういう人は、「今、何がしたいんだろう、何をすればもっと楽しくなれるんだろう、そのためにはどんなことをすればいいんだろう」と前向きに考えていってほしいのです。

Vol.13(1996.11)

1960年代から70年代にかけて高度経済成長の頃の日本は、ある意味で元気が良かったように思うのでありますがいかがでしょうか?
誰もが少しお腹をすかせながら小さな夢を追いかけていたような…。
「スチャラカ社員」のごとく「末は社長だ!」と、本気で思い込むことができた時代。その頃の環境は「公害」という言葉が生まれ、光化学スモッグが運動場の体育を中止させ、オキシダント濃度が交差点に表示され、ヘドロから生まれた怪獣がゴジラと戦っていました。
にもかかわらずアトピーはまだ子供の皮膚炎で、成人アトピーはありましたが激増していたわけではありません。
(喘息は「四日市喘息」というものが出現したように、大気汚染によって増えていたようです。)

80年代には入って成人アトピーが増えたとき、日本経済はオイルショックを経て少し衰退気味になり、次のバブル経済に引き継がれていったのです。

生活は比較的豊かになり、あこがれだった自家用車は当たり前になり、電化製品も一通り揃った頃、財テクがはやりだすと働く事の意味に、少しずつ変化が訪れます。

忙しさがストレスの原因であった時代から、自分を見つめる余裕ができたために生まれてくるストレスの時代へ?
「今、私何しているんだろう?」夢中で何かを追いかける事ができた頃は、考えもしなかった…。
「ストレスはありませんか?」
「あまり感じてるとは思いませんが…。」
「今楽しいですか?」
「…そうでもないですね。」

気付かないうちに「つまらない」という感情を押殺してポーカーフェイスを作っていませんか?
それこそが新しい、そしてかなりやっかいなタイプのストレスではないかと考える今日この頃です。
そして、この得体のしれないストレスを感じつつ、空腹感が存在しないのです。

かなり良くなったのに、あと一歩届かないという場合のアトピーの克服には一つ、「私は今、こうしたいからこのアトピーが邪魔なんだ!」という何か原動力の様なものが必用な気がするのです。次回はこのストレスと、その陰に見え隠れしてついてくるカロリーとの関係を考えてみます。

Vol.14(1997.1)

腹時計という言葉がありますが、皆さんちゃんと動いているでしょうか?
朝ご飯のあと、お昼にはちゃんとお腹がすいてきて、昼ご飯のあと、夕方にはちゃんとお腹がすく。
お昼の時間だから、腹具合に関係なく、昼ご飯を食べていませんか?晩ご飯が待ちきれなくて、おかあさんの回りをうろうろしている子供も少なくなっているように思います。

私が小学生の頃は(25年ぐらい前になりますが)、まだ駄菓子屋というものが残っており、100円あれば豪遊できました(けどその頃はチクロがどうのこうのいわれていたっけ…)。

駄菓子屋の商売ができていたのは、家の戸棚を開けてみても海苔やふりかけがあるくらいで、スナックやクッキーが顔を出すことなどめったになかったからでしょう。

戦中、戦後を経験してきた私の親の世代にしてみれば子供のおやつなど、という感じがあったでしょうし、もう少し若い世代は、共稼ぎの世代であり、いわゆる鍵っ子も駄菓子屋でたむろしていました。その反動でもないのでしょうが、私どもの世代が親になってなぜか(自分が食べたいからでしょうか)戸棚におやつが山盛りになっているような気がします。

そしてその子供たちは夕ご飯の時間になってもお腹は結構はっていて、親は無理やり食事をさせているような…別に子供たちばかりではなく、どの世代の人達も空腹感を感じることが少なくなっていないでしょうか?

カロリーが多すぎたらどうなるの?
今までストレスについてああだこうだ言ってきましたが、例えば戦争中の、焼夷弾でいつ焼かれるか分からない状況や、戦後の混乱期の方がストレス状態ということであれば現在よりも厳しかったのではないかと思います。

ではそのころ成人アトピーが猛威をふるったかというと(記録がないので確かな情報ではありませんが)そういう事はなかったのでは?
いいところでページがなくなりまた次号。

Vol.15(1997.3)

前回のカロリーのお話しの続きです。
戦争中や戦後の混乱の頃、ストレスはあっても、食べ物は?
火事場の馬鹿力という言葉がありますが、皆ひもじいのをこらえて、必死に生き抜いてこられたことと思います。

本来動物は飢餓状態に対して防衛する能力を持っています。飢餓という事態において動物は身体中の力を総動員して身を守り生き抜くためのパワーを発揮するのです。
ところが逆に、必要以上のカロリーが与えられたとき、人間を含めてどの動物もその処理は下手なようです。
(もともと餌が有り余って困る動物など神様は設定していなかったのでしょう!)

玉置先生がよく例に出される話ですが、遺伝的に腎炎を起こすネズミに、えさを一杯与えた群と、60%しか与えなかった群とを比較すると、60%の群の方が腎炎にかかりにくかったということです。また腎炎になったものでも、そのまま腹一杯食べさせたネズミより、その時点でも60%に減らしたネズミの方が長生きしたようです(九州大学での実験報告より)。

ストレスがかかると、身体は血圧を上げ、血糖値を上げてことに備えようとします。身体はエネルギーがくればそれを動員する態勢にはいるわけです。そこへカロリーが大量に入るとどうなるか?もちろん余ったものは脂肪に蓄積されますが、少しでもエネルギーを使ってくれるところがあればそこへ回ってしまいます。
炎症反応があればそこへ、癌細胞が必要としているならそこへ…。
ああもったいない。アフリカでは血となり肉となるべきエネルギーが、ここでは癌のエネルギーになり、アトピーの炎症のエネルギーになっていくとは。食べすぎ、それもストレスを抱えた状態での食べすぎはアトピーだけでなく万病のもとといえるでしょう。

腹八分目に医者いらず。

Vol.16(1997.5)

入院してこられる患者さんの中には、
「会社から、『いくら休んでもいいから、完璧に治してこい』と言われました」ということをおっしゃって、ご本人もそのつもりで入院される方がおられます。
残念ながらその人からアトピーを完全に消し去ってしまうことはできません。
けれども、その人その人に適した、ある条件の中では、症状を抑えて、普通の人と変わらない生活を送ることができます。その条件は一人一人違うわけですが、少なくとも、入院前と全く同じでは、やはり同じ症状が顔を出してくるでしょう。

ここに仕事を持つアトピーの方々の苦労があるわけです。
会社の方はその人のアトピーの症状はいらないが、その働きぶりや、従順さは同じであってほしいのです。アトピーが重症化しやすい方はとりわけ従順で、働き者の人が多いのですから…。

これが、例えば糖尿病や慢性肝炎であったりすれば、入院して退院してきた人に対して、
「もう治ったはずだから今まで通りにがんばってくれたまえ」などと言えるでしょうか?
入院前の仕事がハードであったため調子が悪くなったんだ、と誰もが納得して、今後は無理をしないようにといたわってくれるケースが多いと思います。

アトピーもある意味でこれらの病気と同じ性質を持っています。けれども、なぜかアトピーに対しては「完全に治してこい」と言われてしますのです。
会社にとって度々休まれるのは、確かに迷惑かもしれません。

しかし同じように病気が発病して、片方は休まれたら困るので仕事を減らすように気を使われ、片方は同じく休まれると困るのでまとめて休みをやる代わりに完全に治してこいでは、余りに不公平です。
特にアトピーの方は、プレッシャーに弱い人が多いので、期限を決められるとますますあせって治りにくくなってしまいます。まだまだアトピーの本質が理解されていない今日この頃。

我々も、必要があれば、会社の方にいつでも説明しますので、石頭の上司にお悩みのアトピーの方は外来でご相談下さい。
でも今の自分を変えたくない、上司を説得して変に気を使われたりするといづらくなる…。そういう愛すべき優しいアトピーの人達に明日はないのでしょうか?

次回PositiveストレスとNegativeストレスの話で考えてみます。

Vol.18(1997.9)

仕事とストレスの続きです。

ストレスと一言で言っても、それには色々な種類があります。まず、肉体的ストレスと精神的ストレスに分かれます。
仕事が月曜から金曜まであるとして、金曜が一番疲れると感じる人と、月曜が一番疲れるという人とおられます。

前者の人は肉体的ストレスが強いようなので、週末はゆっくり休養することをおすすめします。
後者の人は精神的ストレスが強いようで、週末に近くなるほど元気になり、日曜の後半にはすでにブルーになる傾向があるようです。
こういう人は「疲れた」と感じているために、週末に、とにかく休養をとらなければと考えて無理やり体を休ませようとするのですが、意外と体は疲れていないので眠ろうとしてもあまり眠れず、「このままでは疲れがとれない」とかえってあせってしまったりします。
この時はむしろ朝早くから外へ飛び出して一日中体が疲れるまで遊ぶことをおすすめします。

精神的にまいっているときにそれを解消する方法は、ひとつは先ほどのように運動して心と体の疲れのバランスをとる方法があります。
(これは精神科的に運動療法とよばれています)

もうひとつは、精神的そのもののリフレッシュです。
これは趣味をもっている人ならそれにうちこんだりすることで、「脳」がわくわくするようにする。特に絵を描いたり、文章を作ったりすることで何か創造的なことで自分を表現すると、かなり解消したりします。
(これも精神科的に精神病の人が絵によって感情表現することで症状が軽快することに似ています)
さてこのことが普段の仕事でいかされないでしょうか?
よく聞くことで、外へ出ている間はかゆくないのに、家に帰ったらとたんにかゆくなるというのがあります。
これは外へ出ることの緊張感がかゆみをおさえているためです。自律神経の交感神経が興奮して、かゆみを抑えるアドレナリンがでるためですが・・

続きます。

Vol.19(1997.11)

前回の続きです。

緊張感が解けてしまうと、自律神経の副交感神経が優位になって、アセチルコリンが出てきてかゆみが強くなります。
つまり仕事が終わって家に帰ったとたんに、無防備に緊張を解いてしまうと、一気にかゆくなってかきむしってしまうこと になります。

どうすればいいのでしょうか?
これはなかなか難しい問題ですが、一つは仕事中の緊張感を楽しみに変換できないかどうか。仕事の中に自分の『こだわり』を加えられないかどうか。
何かオリジナルなものを生み出そうとするとき『脳』は結構ストレスを発散するものです。
仕事にこだわりを持てると言う事は、一つの理想でもあります。でも多くの場合はそう簡単にはいきません。

でももう少し簡単な方法とは、仕事が終わってすぐに緊張を解くのではなく、できることなら、仕事のめどが立てばそのころから、家に帰ってからの(あるいは仕事が終わってからの)計画を練るのです。
特に残業などではなく、楽しみや趣味を中心としたものを!そしてゆっくり帰るまでのあいだに心を仕事モードからお楽しみモードに変えていくのです。
そして家に着くとすぐにその計画通りに行動して下さい。そうすると仕事(あるいは、外出というストレス)の緊張から、ある意味で『いい緊張』へ引き継がれて、かゆみの爆発がおさえられるはずです。そして『いい緊張』の中でその日のストレスが発散されれば、夜の睡眠時の緊張が解けた状態でもかゆみの度合いが違ってくると思います。

ただ、これらのテクニックをどうこういう前に一番大事なことがあります。
それは仕事の『目的』です。
毎日行っている行為に対する意義づけです。
例えば、社長や重役を狙って『いつか天下をとってやる!』と考えているのか、そこそこがんばって、給料もらって家族で平穏な毎日を暮らしたい、と思っているのか、そういうことをきちんと割り切れているのかどうかです。

前者であれば、仕事の全てが自分の目的につながっていて、こだわりを持てるでしょうし、少々のことではストレスとしてたまったりしないはずです。

後者であれば無理をせず、自分のオアシスを守った上で、仕事を配分するべきでしょう。あくまでも目的は平穏な家庭生活であり、仕事はそれを実現するための手段の一つでしかないのなら、最大限の努力を払って楽をすべきでしょう。

今、仕事のストレスを例に挙げて話しましたが、これは学校でも家事でも当てはまることと思います。

さて、ここで具体的に計画が立てられそうな方は、アトピーのセルフコントロールも近い方だと思います。ところが、こうして具体的にアプローチしても、しっくりこない方、たくさんおられると思います。
どこがはっきりしないのか?
『自分の行為に対する意義づけ』このあたりではないでしょうか?
『確かに仕事で天下をとるつもりはないけど、かといって簡単に割り切れるものではない…』この気持ちに中に見え隠れしているものは?
『精一杯やらないと自分の気がすまない!』この気持ちの裏に何か重要なものが隠されているような気がします。

次回からは私も手探りの状態のまま、『自己』というもの、アトピーの方のストレスがたまりやすい心の構図、そしてかつて教科書に書いてあった『アトピーは思春期が終わる頃には治っている』ということの真の意味について少しずつ考えていくことにします。

Vol.20(1998.1)

以前に新しいタイプのストレスとして、「ストレスは別に感じていないが、現在の状況がたのしいわけではない」という話を紹介したと思います。
このことと前回お話しした、仕事から帰った時にかゆみが爆発するということ、そしてなかなか割り切ることが出来ずに精一杯仕事をしなければ気がすまないということ、これらのことに共通する何かがあるような感じがします。まずストレスがどういう状況で生じやすいかといえば、やはり自分がやりたいことをしようとした時に、何かによってそれが邪魔された時でしょう。

ではここで、今までよく使ってきた言葉ですが「やりたいこと」というのは何でしょうか?
「馬鹿なことを尋ねちゃいけない。やりたいことはやりたいことでしかないじゃないか!」
そのとおりです。
しかし私が問題にしたいのは刹那的な、ごく小さなものではなくもっと大きなもの、そう、人生における、とでもいうべきものです。そんな事は人類の永遠の課題である、といわれるかもしれませんがまあ当たり障りのないところで「充実した生活」というのはどうでしょうか?
「何だ、それ位のこと誰でも考えているし、大したことじゃない」そう考えられる方も多いでしょう。
しかし本当にそうでしょうか?本当に自分でそれを実現しようとしているのでしょうか?
無意識のうちに誰かの気配りを、他人に対して自分が期待する行動を求めていないでしょうか。

ややこしいことで思い悩んだ時、生命の原点にまで考えを引き戻して、そこから順番に考えを進めていくとスッキリしていくことがあります。本来生物は、自分の生命の保持と子孫を残していくことを大目標としていると考えます。
そのために行われる全ての行為は、肯定されるものと思います。自分を取り巻く状況が非常に危険であり、必死に「生きなければならない」時、そのための行動をとっている「自分」はある意味で「充実している」といえるでしょう。

しかし「生命」「子孫」に危険が及ばない状況になると、ある意味で「豊かな」状況になると、「充実した生活」は自ら求めなければならない、「自由の刑」に処せられてしまうのです。そしてそれを求める、求めないにかかわらず、時間は過ぎて行き、日々の生活、「日常」というものが繰り返し我々の回りで渦巻いているのです。

さあ、そろそろ「本当の敵」が見えてくるかもしれません。続きます。

Vol.21(1998.03)

「充実した生活」を求めようとする場合、特に物質的に充実してしまった時に、より精神的に充実する為にはエネルギーを使わなければならなくなります。仕事がストレスであると考える方の中には「仕事をすれば疲れるから、仕事がストレスになっているんだ」と思われる方が多いでしょう。

肉体的にも精神的にもそれは事実だと思いますが、問題は本当にそこにあるのでしょうか?前々回に仕事モードからお楽しみモードへ切り替えるテクニックを説明しました。そして大切なことは仕事の意義づけができているかどうかだということもお話ししました。
それをふまえて、仕事にストレスを感じている方の問題がすべて「仕事」にあるのかどうか。答えは「生活」「生き方」全体レベルの問題であると思うのです。つまり「仕事で疲れる」のは「仕事以外の時間でその疲れが癒されていない」からではないでしょうか?

仕事がストレスの原因、アトピーの原因と思って悩んだあげく、仕事を辞めてしまわれた方も多数おられます。しかし中には、ノルマがなくなって気楽になったはずなのに、逆のすることが見つからず、結局一日中部屋にこもってアトピーとにらめっこになってかえって悪化してしまわれた方、別の仕事に就いて、はじめよかったのに、同じように疲れがたまり悪化してしまわれた方もおられるようです。何のために仕事をするのか?
それは今の日本においては「生きるため」ではなく「よりよく生きるため」であるべきです。

それは今まで「充実した生活」と私が言ってきたことです。
これは仕事だけでなく、学校や家庭生活における行動全てにつながっていくことです。

前回の最後で述べたように「生きるため」「生活するため」に仕事をし学び、さらに戦っていた時代は、肉体的にも精神的にも厳しいものであった反面、ある意味において「迷い」がなく、より高位な精神面においては楽であったと思います。
「よりよく生きること」「充実した生活をめざすこと」簡単なようで、やはり意識しておかなければ、「日常」に流されてしまいます。

何もしなければ、結局「虚無」と戦うことになり、「ノルマ」の中へ入ればそれをこなすことが強制され、ただひたすら「ノルマ」をこなすだけに終わってしまう…。こう書くと何だか怖くなりますが、多くの方々は「ほどほどに」とか「それなりに」とかいう言葉の下に「よりよく生き」「充実した生活をおくって」いくことができるはずです。

アトピー離脱のヒントの一つとして、「よりよく生きること」「充実した生活をめざすこと」、仕事ならそれを支える家庭や休日、朝と夜の時間を大切にして頂くこと、退屈や心の空洞がストレスの原因に変化してしまうことを考えて頂きたいのです。そして「ほどほどに」「それなりに」と言う言葉がつくのならむしろもっといいかもしれません。

どういうことか?
私が考えている「本当の敵」の一つは「よりよく生きる」ことができていないことー退屈・虚無・空洞―ということでしたが、まだ「敵」はいるのです。
それは「ほどほどに」「それなりに」という言葉の裏に隠れています。

Vol.22(1998.05)

「仕事に手を抜けない」「頼まれると断われずに最後までやってしまう」そういう言葉をよく外来で耳にすると以前書いたことがあります。別に「手抜き」を勧めているわけではありません(いや、結局勧めているのかな?)。自分の体の調子と相談しながらうまく切り抜けることを勧めたいのです。しかし言葉ではわかってもなかなか実行できない方が多いのはどうしてでしょうか?

全ての方がそうではないのですが、「完全主義」とも少しニュアンスが違うのですが、「やる」か「やらない」かの二つしか世の中にはないかのように考える方がおられます。
「やる」時は精一杯やって体のことはあまり考えず、ある一線を越えて症状がひどくなると「やらない」、つまり休んで入院するしかないと。この感覚の裏にも何かアトピー増悪因子の手がかりがありそうです。

「与えられたノルマはできる限りこなさなくてはならない」これは見習うべき態度であり、これに対して否定的な意見を持っているわけではありません。問題とすべきは「できる限り」という部分の解釈でしょう。
私などは「できる限り」とはその時の自分の能力、体力、体調、あるいは気分で決めてしまう、つまり「主観」と考えたいのですが、中には「主観」でとらえることを「自己中心的」すなわち「わがまま」と感じて、あくまでも「客観」としてとらえるべきとする方がおられます。

つまりこのノルマが、他人から見たとき、自分にとって妥協なものであると判断するととにかくやらなければならない。そしてその「客観」的にできるはずのことができなくなった時には入院かステロイドかの選択となってしまうのです。しかしこれは社会人なのだから当然のような気がします。

会社にとっても非常に有難い考えだろうと思います。問題点を探るなら、この一見あっぱれな「客観的」仕事観が確固たる自分の人生観・美学から出ているものか、全くの「受け身」の言い訳であるのかということです。

前者であれば文句のつけようがありませんが、後者の場合、これはアトピー増悪循環の一つの要因となります。なぜか?

「仕事も含めた全ての日常が自分に押し寄せてくる。そして自分はそれを精一杯こなしているのに皮膚はかゆくなってどんどん状況が悪くなる。私は一生懸命やっているのにちっとも報われない。私はちっとも悪くない。私はかわいそうなんだ…」まるで状況がよってたかって自分をいじめているような感覚。そういう気持ちになられた方は多いと思います。続きます。

Vol.23(1998.07)

状況にいじめられているような感覚は誰にでも起こりうると思います。まして皮膚炎がひどければなおさらのことでしょう。しかしこの感覚の中に非常に重要なアトピー増悪の手がかりがあるように思えます。それはこの感覚の中にその方の「主体」が見えてこないということです。

簡単にいうと、「なぜあなたはそんなに辛い状況にいるのですか?」という問いに対する答えが見えてこないのです。自分で自分の身を守る、自分の現在の状況を判断して自分に最も有利な状況を作っていく。それにはこれから行おうとしている行動に対して、はっきりした目的が必要であり、そしてそれはいろいろな意味で「よりよい生活」を目指すものであるべきでしょう。

精一杯やることが自分の美学であれば、辛さの中にもどこかで自己満足できる部分があるはずです。心の中でニヤリと笑えることができないのであれば、それはやはりただ無理をしているだけで本当の「主体」を見失っているということになります。

食堂で小学校低学年らしい子供がカレーうどんを食べようとしていました。お腹が減っていてカレーが大好きなその子はすぐ食べようとしましたが、残念なことにそのうどんは非常に熱いのでした。必死で息を吹き掛けてさまそうとしましたが、御存じのようにカレーうどんはとろみがついている分さめにくくなっています。
待ちきれずに一口ほおばりましたが案の定熱くて吐き出してしまい、その子は泣き出してしまいました・・

この子供の心の中は容易に推測できます。特に猫舌の私にはよくわかってしまいます。お腹が減ってすぐに食べたいのに、なんでこんなに熱いのがでてきたんだ!
注文したお母さんにまず腹が立ちますがそれはお門違い。作った店のおっちゃんに腹が立ちますがどうもしっくりこない。結局現在の「空腹」「すぐに食べたい」「熱くて食べられない」という「不適合状態」に対してやり場のない怒りが生じると同時に自分がかわいそうになって、「泣く」ということになったのでしょう。

この場合「目的」ははっきりしていますが、その行為の遂行にあたってある種の「依存」が存在し、「個の幸福を遂行するための主体的行動」が阻害されて「泣く」という結果になってしまったのです・・

さあよくわからなくなってきましたが、「主体」「依存」「不適合状態」そして「子供」というキーワードが顔を出してきました。続きます。

Vol.24(1998.09)

前回のキーワードはどういう関係になっているのか?
「不適合状態」というのは、自分が望むことに対して状況がそれを許さない状態とでもいいましょうか。そんな状態など、どんな人にでもしょっちゅう起こっていることでしょう。

問題はそういう状態になった時の対応の仕方です。つまり空腹な時に熱いカレーうどんが出てくるなんてことはよくあることですが、どうすれば泣かずに空腹を満たすことができるかということです。そんなこと、ちょっと我慢してさませばいいじゃないか…そのとおり。「我慢して」「さます」のです。

ではこの子は?空腹を満たすために何をしたのか?そう、熱いので息を吹き掛けました。ここまではこの子は「主体」をもって、不適合状態に対して適応するため、まず状況を自分に適応するように変化させる行動に出ています。

ところが、うどんがさめにくかったため、一口ほおばって、吐き出して泣き出したのです。さめにくいという状況に対し、本来ならここで「我慢する」べきでした。「我慢する」ということは、不適合状態に対して適応するために、今度は自分を状況に適応させるために変化させるということです。つまり本来の目的である「すぐに食べたい」ということの「すぐに」という部分が現状では不可能であるという結論から「主体」性を維持しながらこの「すぐに」を削ることです。

「主体」性を維持したままとは?

それは、納得して待つことであり、待ちながら机を蹴ってみたり、思いきり息を吹き掛けてわざとカレーを飛び散らせたりしてお母さんに叱られたりしないことです。残念ながらこの子は「主体的我慢」ができませんでした。
目的が達成できなかったことを、自分に適した状況が与えられなかったという自分以外の何者か(神か?前世の因縁か?)のせいにしてしまったため、自分が犠牲者になってしまったのです。これが隠された「依存」です。

これはたとえ我慢できたとしても、前述のように机を蹴ったりすることは、自分を被害者として認識した上で、その心の中の不公平感を発散する行為であり(防衛規制の一つの表れです)、結局泣き出した子と同様、目的は達成されなかったわけです。こういう行動は「子供」によく認められるのですが・・
さて「子供」とは?
続きます。

Vol.25(1998.11)

「子供」とは?
このことを考えるために一度心理学の門を叩いてみることにします。
昔、フロイトという人が人間の心の中を3つに分類して精神分析ということを試みました。スーパーエゴ(超自我)、エゴ(自我)、エス(イド)というものですがよくわかりませんので、1950年代にエリック・バーンという人がフロイトの理論をもとに人間の心の中を5つに分けました。それは心の中の5人家族にたとえられます。「父」「母」「現実的な兄」「自由な子供」「従順な子供」彼等5人が全ての人の心の中に住んでいます。

「父」とは批判的な親の心(Critical Parent:CP)で、この心の良い面は「理想」「良心」「正義感」「責任感」「権威」「道徳的」などで、悪い面は「非難」「叱責」「強制」「干渉」「排他的」などです。CPが強くなると「馬鹿」「ダメだなあ」「当然じゃないか」など他人を見下す言葉や態度が出やすくなります。逆に弱くなると無責任になったり、ルーズになったり、批判力がなくなったりして「ノー」と言えなくなったりします。

「母」とは養育的な親の心(Nurtural Parent:NP)で、この心の良い面は「思いやり」「慰め」「共感」「同情」「保護」「寛容」などで、悪い面は「過保護」「甘やかし」「沈黙」「おせっかい」などです。NPが強くなると「よかったわね」「よくできたわね」「かわいそうに」など世話をやきたがる、安心感を与える言葉や態度が出やすくなります。弱くなると冷淡になったり、おおむね拒絶的になり、他人のことはどうでもよいという態度をとったりします。

「現実的な兄」とは大人の心(Adult:A)で、この心の良い面は「知性」「理性」「現実思考」「冷静」などで、悪い面は「自己中心性」「科学万能主義」「人間のコンピューター化」などです。Aが強くなると「なぜ?」「比較検討すると」「私の意見では」など理詰めで計算高い態度が出やすくなります。弱くなると現実的にうとくなり、ずさんになって状況判断が狂いやすくなります。
「自由な子供」とは、自由な子供の心(Free Child:FC)で、この心の良い面は「天真爛漫」「自由な感情表現」「直感力」「創造力」などで、悪い面は「衝動的」「わがまま」「傍若無人」「無責任」などです。FCが強くなると「やったー」「わあすごい」などはしゃぐことが多く、まわりの迷惑を考えずに行動しやすくなります。弱くなると無気力にみえたり、ネクラにみえたりして人生を楽しめなくなったりします。

「従順な子供」とは、順応した子供の心(Adapted Child:AC)で、この心の良い面は「がまん」「妥協」「慎重」「他人の期待に添う努力」などで、悪い面は「主体性の欠如」「消極的」「自己束縛」「依存的」などです。ACが強くなると「どうせ私なんか」「よくわかりません」「他の人はどうですか」など人に逆らえず、おどおどして旗色を鮮明にしなくなります。弱くなると反抗的になったり、独善的になったり、あまのじゃくになりやすくなります。

これら5つの心がどのような力関係を持つかでその人の「性格」が形成されるのですが、次回「エゴグラム」について触れてみたいと思います。
(参考:青春出版、福島 寛著「エゴグラムで性格を知る本」)

Vol.26(1999.01)

エゴグラムの続きです。前回の5人家族のその人の心の中における力関係を示したものがエゴグラムです。
CP(父)、NP(母)、A(現実的な兄)、FC(自由な子供)、AC(従順な子供)という5つについてそれぞれ質問があり、それに答えることで各々を点数化していきます。
(例えばCPについて、「他人を厳しく批判するほうですか?」とか、ACについて「人から気に入られたいと思いますか?」などの質問に○・△・×で答えて点数化します。質問の内容はいろんな種類があり、これは日本経営指導センター刊の『ストレスから守る心と体の健康』より桂日大心療内科教授監修のものを例にあげています。)

点数化できればそれをグラフにします。縦軸に点数を、横軸に左からCP、NP、A、FC、ACの順に枠をとってそれぞれの点数のところをポイントして折れ線グラフにしたものがエゴグラムです。その形によってW型やM型、N型、スロープ型等に分類され、、さらに細かくその人の性格が分析されるシステムになっています。
(ちなみに私はN型の変型で基本的に優柔不断タイプに分類されました。う〜ん、そうだったのか。)

興味のある方は本屋にその手の性格判断の手引きが沢山並んでいますので試してみるのも面白いかもわかりません。(かなりきつく言い切っているのもあるのでカチンとこないように) さて「子供」というキーワードに対してエゴグラムを引き合いに出したのは、そうか、きっとACが高くてCPやAが低いのが性格的に「子供」なんだな、それが言いたいんだろう、と思われた方もおられるでしょう。

皮膚科の学会でもアトピー性皮膚炎の方のエゴグラムにある特徴が現れていると報告した先生がおられましたが、ここではあえてそれには触れません。皆さんが自分で確かめてみるのがいいでしょう。今の本には性格分析のあとに「○○性格の人は○○なことを考えたり行動したりすればいい人生が送れます」などというアドバイスがついているものが多いので(納得すれば)参考になるのではないかと思います。

ただ皆さんがその手の本を手にした時、「性格とはある程度変えることができたとしても基本のパターンは変わることがない」という記述に突き当たることと思います。「え、それじゃもう、性格を変えてアトピーを治そうなんてことは無理なの?」 そうではないのです。 
私がエゴグラムを紹介したのは「子供」イコール「子供みたいな性格」であるといいたかったのではなく、むしろその逆なのです。そしていわゆる「アトピー性格」なるものがアトピー性皮膚炎のカギを握っているということ、つまり「性格」がアトピーを作っているという意見に対して今大きな疑問を感じています。

いよいよ長かった「ストレスの章」も大詰めです。私見でありますが私なりの結論を述べてみたいと思います。続きます。

Vol.27(1999.03)

ストレスの話がこじれて「大人」と「子供」の話になってしまいました。さて断わっておきますが、ここでの「大人」と「子供」の定義は、あくまでもストレスに陥りやすい状況を考察する上での私の勝手な解釈によるもので、精神発達の上での心理学的な意味あいや、辞書的な意味、アダルトチルドレンを含むようなものではないとさせていただきます。

さて、それをふまえて…皆さんは学生時代から会っていない友人に会ったとき、「あれ?こいつ変わったな」と感じられたことはありませんか?私はそういうことがしばしばありますが、その時思うことは「いやに大人っぽくなったな」ということが多いようです。

年齢的にはもちろんいい大人なんですが……ところが性格はどうかというと、これが全然変わっていない。相変わらず子供っぽいところ、融通のきかない完璧主義、すぐにマイナス思考につかまるひっこみ思案。でも何かしっかりした感じがする…俺は子供で、あいつはいつのまにか大人になっちまったな……それは何なのでしょう?

以前にも述べましたが、私はこういう直感で悩むことは生物の原点にもどって考えることにしています。鹿の子供が虎に狙われているところを想像してください。親鹿の影に隠れて震えている子鹿が「子供」、かなわないと知りつつ虎を睨みつけて威嚇している親鹿が「大人」。野生動物が一人立ちするということは「巣立ち」することです。

今まで親の保護下にあったものがそこからは自分で生きていかねばならない。巣立ちをしたものはまず、自分で自分を守らなければなりません。自分を脅かす全ての事象に対して戦わなければなりません。そして自分にふりかかる全ての状況は自分のとった行動による結果であり、判断ミスは命を脅かすこととなり、それを誰のせいにすることもできません。

「守られていたもの」が「守るもの」にならなければならないのです。そしてまず「守る」ものは「自分」なのです。それ以上のものでもそれ以下のものでもない。

生き延びたものは数々の経験をふまえて自分自身を知る。すなわち自分の能力と可能性、そして限界。客観的な判断から「自分を脅かすもの」への攻撃と逃避、「それ以外のもの」への余裕ある対応(好奇心、観察、遊びの対象…)。引き際をわきまえること。

やがて子孫が生まれると、「守るもの」は「自分」から「子供(子孫)」へと変わり、「自分」を犠牲にしても「子供」を守る、強い親鹿の姿へ重なっていくのです……。

「守られるもの」から「守るもの」へ!
これこそ私の考える「子供」から「大人」への変化に他ならないのです。そしてストレスとは、特に取り除くことの困難なストレスは「守られるもの」が「うまく守られていない」状態なのではないか?その解決は「きちんと守られること」なのか「守るもの」へと変わっていくことなのか。

いま少しストレスの章が続きます。

Vol.28(1999.05)

ストレスがたまりにくい状態は前回の最後に示した両方、つまり「守るもの」として確立した状態と「守られるもの」が「うまく守られている」状態だと思うのです。もちろん前者が理想であるということは言うまでもありませんが、ある意味で完璧な「守るもの」にはなかなかなれるものではありません。まず生きていく上でそれこそ命がけで生活しておられる方は今の日本には少ないでしょう。ぼんやりしていても生きていけてしまうのです。

この話は以前したこともありますが、生きるのに精一杯の社会ではある意味で「大人」が一杯いるのかもしれません(年齢的には子供でも)。動物的な意味ではなく、人間的な意味で「守る」対象は変化していきます。最初は「自分」の「命」「生活」といった切羽詰ったものから「自分」の「倫理観」や「生き方の美学」、そして「誇り」。
これらを「譲れないもの」として「守る」ことで、「悔いのない人生」「笑って死ねる人生」が生まれてくる。自分が「守るんだ」と決めたこと以外、それは全て自分に余力のある範囲で楽しめばいい…。この状況ではあまりストレスは間に立ち入れないものです。

ではこのような「守るもの」はどこから出てくるのか?
生き延びることに厳しい状況であれば自然と「身を守る」ことから始まるでしょう。「敵」があればそれに対して守るべき「自分」「家族」「愛すべき人々」「民族の誇り」そして全てを含む「自分達の故郷」…政治的な問題が引き金となって紛争が起こっている国での最前線で戦っている人々の気持ちの中にはこれら「守るべきもの」がなければ、とても自分の命を危険にさらし、また相手の命を奪う行為を精神を侵さずに為すことは不可能でしょう
(私はその行為の善悪を述べているのではなく「守る」物を持つ人の精神は強靭になり得るということを言いたいのです。念のため)。

とりあえず平和な日本においては?
「依頼心」をなくし、自分の行動及びその結果に対して全ての責任を引き受けること。これが「自分を守る」前提であり、出発点だと思うのですが、そう簡単なものではありません。

「目標」が定まらなければ逆にストレスが溜まる一方になってしまいます。「自分を守る」ための「目標」設定。これこそ豊かなこの時代を充実して生きるための試練とも言えるのです。
今はやりの「自分探し」などもこの点に注目し、「心理療法」なども手掛けているようですが、私はどうもそういった風潮は納得できません。もっと単純でいいのではないでしょうか?

私の意見は「憧れ」から始められないか?ということです。「グレード」なるもの「スーパーヒーロー」なのです。「ああいう生き方をしてみたい」「あんな事ができたら痛快だろうな」…「痛快」「豪傑」「侍」「胸のすくような人生」忘れていませんか?

「夢を忘れない」「凛とした立ち居振舞い」「優しさの中にきらめく強さ」物語の中の絵空事なのでしょうか?困った時に「ルパン三世ならどんなしゃれた態度でかわすかな?」「古畑任三郎なら興味がなけりゃあくびして問題にもしないだろうな」などと考えるのは馬鹿げているのでしょうか。

私はまず「理想」を真似ることが重要ではないかと思います。「憧れ」を持つこと。それは一つのきっかけになるかと思います。それでもなかなか「守るもの」が見つからない時、今はそういう人の方が多いと思いますが、どうすればいいのでしょうか。
つまり私がいうところの「子供」に属する者として「大人」になれない理由とそれでもストレスをためこまない方法を考えてみます。続きます。

Vol.29(1999.07)

(今進めている話は特にアトピーについてというわけではなく、一般的な総論として考えてください。)

さて「守られるもの」がうまく守られていない状態とは以前にも話しましたが、「仕事でストレスがたまる」という場合、「仕事」が原因(もちろんそうなのですが)だから「仕事が問題」、というよりも「仕事の疲れが癒されない」方に問題がある状態なのです(これも前に言ってますね)。
でも「仕事」がなければ「疲れ、ストレス」もないからよいのでは?

私は人の、いや生物の「成長」にはストレスが必要であると考えます。外来ではついつい、「ストレスを除きましょう」などと言ってしまいますが、これは明らかに言葉が足りません。「学校がいやだ」「仕事がしんどい」それぞれに話を聞くとそれなりの理由もありますが、では、「学校」「仕事」を休みました、夜眠れないので朝方から昼まで眠ります、動くのがうっとうしいので食事や洗濯・掃除は人任せ、お菓子は食べ放題・・(総論と言いつつ、この辺少しアトピー入ってますね。)

この状態では目に見えるストレスはないようですが、これが続いてもこの人の中に「成長」があるのでしょうか?
私のいう「成長」があるのでしょうか?私のいう「成長」とは「守られるもの」から「守るもの」への「成長」と思って下さい。自分を強くしていくために、やはり「ストレス」は必要なのです。
ただし、どんなストレスでも良いという訳ではありません。

例えば先ほどの自堕落的な生活においては目に見えたストレスはなくても、以前に出てきた「虚無・空洞」や自分に対する「絶望」、そこまでいかなくても「これでいいのか」というあせりや不安、自分の行動に対する疑問などのnegativeなストレスはかかっているのです。
そうすると必要なのは反対にpositiveなストレスということになりますが、それは何でしょう。

「ネガ」と「ポジ」のストレスについては以前説明するつもりでうやむやになっていたようです。「仕事」の意義付けという話も出てきたと思いますがそれにもかかわってきます。
あなたが「つらい」と感じる時、ストレスとは思わなくても「楽しくない」時、なぜその状態にあるのか、その状況に対してあなたはどう対応しようとしているのか。

「ネガ」と「ポジ」のストレスを感じつつ、それがうまく癒される、「守られる」状態になった時、人は「成長」し、やがて「守るもの」へ変わっていくものと思うのです。
「ネガ」「ポジ」の判断と、疲れた時の「守られ方」、そしてアトピーの場合について考えていきます。

Vol.30(1999.09)

まず「ネガ」ストレスとは? 私はこれを「受け身のストレス」、「被害者のストレス」と考えています。これに対して「ポジ」ストレスとは?
私はこれを「立ち向かうストレス」、「チャレンジストレス」と考えています。
具体的な例は? 対象は「全ての起こりうる事象」ということになります。

つまり「ポジ」と「ネガ」は言わば「光」と「影」。皆さんの経験する「全て」において存在しています。どんな状況でも、それを「受け身」にとらえて、自分は被害者となり、全ての責任を「他人」「運命」など「自分以外の何者か」に押し付けてしまうとき、そのストレスはその人にとって「回避不可能なもの」となります。それが「ネガ」です。
(カレーうどんが熱くて泣き出した子供ですな。ちなみにここで出てきた「回避不可能なストレス」はあとで述べるつもりの「ストレスと免疫」で重要になってきます。) 

では同じ状況にあっても、それを冷静にとらえて、自分の状況、能力、その他それにまつわる人間関係を含めた様々な因子を考慮した上で、どうしたら自分にとってその状況が有利に働くか、どうしたら自分が幸せになれるかを基準に「立ち向かう」姿勢をとったときに感じるストレスが「ポジ」です。

結局、これが「ネガ」、これが「ポジ」という「状況」はなく、同じ状況でも受け取り方で変わるのです。「ようするに、『ポジ』って『前向き』ってことでしょ」その通り。それが言いたかったのですが、そういってしまうと抜け落ちてしまう事柄が多いような気がして回りくどく説明してきたわけです。そう、いかに「前向き」が奥深いものかを知って頂きたくて・・ どう「奥深い」か? 

ストレスを「ポジ」に変えるためには基本姿勢として「守るもの」があるかどうかが「鍵」になります。このことは「あとっぷ28号」でお話ししたつもりです。ではまだ「守るもの以前」の場合、この時は「エネルギー」が必要になります。ぼんやりしていても「生きて行けてしまう」時代、その中で自分を成長させるためにあえて「ポジ」ストレスを求めるには「克己心」が必要になるでしょうし、同時に「チャレンジ」してもうまくいかない(これを繰り返すことが「成長」につながるのですが)、「挫折」が必ず・・とはいいませんがつきまとうでしょう。

「守るもの」に成長していれば、そういう時は自分の中の確固たる「誇り」「こだわり」「美学」において自己解決していくでしょう。ですが「それ以前」であれば、そこに「癒し」が必要になってきます。そしてアトピーにおいて最も必要であり、かつ、最も軽んじられているもの、アトピービジネスの介入を許してしまった最大の理由、それが「癒し」ではないかと思います。では「癒し」とは?
続きます。

Vol.31(1999.11)

話をアトピーの方にもどしましょう。
さて、今までさんざん理想論をぶつけてきた訳なので、そろそろ頭にきて「もうこんな話は聞きたくない!」とお怒りの方もおられるでしょう。

「前向きに生きよう、そんなことは百も承知だ!それができるのならとっくにやっている・・!」そのとおりです。気持ちが前に進まない・・理屈を言われれば言われるほど逆に落ち込んでしまう・・私は「人」は基本的に前向きに生きていこうとするものだと思っています。

ところがアトピーの方は程度の差はあれ、悩んだこと、傷ついたこと、色々な過去を背負って「今」を生きておられます。つらかった時間が長ければ長いほど、傷ついた傷が深ければ深いほど、「前向きになる」ことへのハードルが高くなってしまうのだと思います。

そのため、ハードルが高くなってしまわれた方には「前向き」を勧める前に、つらい、苦しいという心が癒されることが必要になります。百のアドバイスより「つらかったんですね」という一言がその人を救うことがあります。1回の入院で、また外来での話だけで簡単にハードルを越えられる方もおられるようですが、やはり何らかの「癒し」がなければ、こちらの話だけでは辛くなる方もおられるでしょう。

仕事の話で、仕事がストレスになっている場合、仕事そのものよりも仕事以外の時間でその疲れが癒されていないのではないかということを言いました。生活の中のオアシス。
人それぞれ自分に合った息抜きや、趣味、いわゆるストレス解消法があると思います。そこで本当に癒されたなら、人はストレスに対して「前向き」に、困難に対して受身にならず、チャレンジしていく気持ちになれるはずです。

その立場で向かっていって疲れた時、そういうポジのストレスは意外と解消されやすいものです。カラオケで発散したあと何となくふっきれて次の日から再び元気よく働ける・・これはポジのストレスの発散です。
逆にカラオケをしている時や旅行している時はいいのですが、それが終わると元気がなくなる。非日常の状態で元気で、日常に魅力が感じられない・・これはネガのストレス状態で真の意味で「癒されていない」状態だと思います。

癒されながら生活の中の困難に主体的にチャレンジしていくこと!これを繰り返すことが生活に充実感を与え、日常を魅力的なものに変え、人の成長をうながし、心の中に誇りや、美学を生み出し、「守るもの」へとつながっていく。これが私のストレスに対する一つの回答です。つまり全ての始まりは「癒される」ことだといえるかもしれません。

さあ今度は「ストレス」を離れて「癒す」「癒される」ということを考えていきます。

Vol.32(2000.01)

「癒し」という言葉が最近流行しています。
臭いで癒すアロマテラピーから「癒し」系の顔というものまで、今世間は「癒し」というものに注目しているようです。結構なことだと思う反面、この言葉が流行すること自体、世の中が疲れている証拠なのかなと考えつつ、坂本龍一のピアノに耳を傾ける今日このごろ・・(あの曲「リゲイン」のCMだったと思いますが、確か数年前には「24時間戦えますか」などといっていたような・・)「癒し」系の顔はともかく、アロマテラピーや、ドルフィンテラピーなどはそれなりに理論があって、「癒された」と感じる方も多いようです。

鍼・灸やマッサージにもそれらの持つ血流改善作用や、自律神経への作用以外にリラクゼーションの効果も期待できるようです。ただ、「癒し」という言葉が世間の注目を集め始めると、必ず金もうけに結び付ける輩が出てきてやっかいなことになる場合が多いので注意しなければなりません。アトピービジネスに似ているかもしれません。

その最も注意しなければならないものが最近色々取りざたされている「教祖」を中心としたいわゆる新興宗教的なものです。(決して全部否定している訳ではありませんが)。結局本質を見誤ると大変なことにもなりかねない、一体何を「癒す」のか?
身体と心の疲れを癒すこと・・マッサージやアロマテラピーなどはその目的にある程度かなっているように思えますが、それだけでは癒せないものがあります。そしてそれが新興宗教を選ばせて、ビジネスと分かっていても金を積ませてしまうのだと思います。それは「疲れ」ではなく「不安」なのではないでしょうか?

では「不安」を癒すものとは?新興宗教にあってアロマテラピーにないもの。そして真の意味での「癒し」に必要なもの。それは「支え」だと思うのです。
さてこれから「支え」について考えていくことにします。

Vol.33 (2000.03)

 「不安」と「支え」。
 不安とは心の支えの欠如に他なりません。 長く皮膚炎 を引きずってきた患者さんに対して、百のアドバイスより「つらかったんですね」 という一言が救いになることもあると、前に述べました。 

 誰かに苦しかったことなどをゆっくり聞いてもらう、それによって気持ちが整理 されてリラックスできるようになる、次に前向きに物事に取り組めるようになる・ ・ こういう風に進めば理想的なのですが、うまくいく方といかない方がおられます。 

リラックスはできても前向きにはなれない、聞いてもらってもあせるだけで リラックスできない・・ この時に「支え」となるものが必要なのだと思います。  最も「支え」として有難いものは「絶対大丈夫」「安心して任せなさい」という 言葉ではないでしょうか? 
「癒し」と「支え」をつなげると、「つらかったんで すね。 よくわかります。 でももう大丈夫。 安心して私に任せなさい。」こん な感じでしょうか。 そしてこのあとに「これを塗れば・・」「これを飲めば・・ 」などと続く場合、要注意であることは皆さんよくご承知のことと思います。 

「そんなことはわかっている。 でも『支え』になるものが無ければ“今は”つらい・・ 前向きになれと言われても何か遠いもののような気がする・・」そのとおりかもしれません。 

 私は外来でアトピーの子供さんを連れて来られたお母さんにこんな話をするようにしています。 「皮膚炎が少しでもましになるように情報を集めすぎて疲れてしまったお母さんをよく見ます。 正しい情報を整理して理解することは決して悪いことではありません。 
今こうして話していることも情報なのですから。 ただ疲れを子供にぶつけないこと。 子供が不安になった時に、どっしり構えて笑って 『大丈夫!』と言えるかどうか。 言えないようなら情報を集めるためにエネルギーを使うのはやめて、自分がどんなに不安でも、一枚岩になったつもりで最後に子供を支えるのは私なんだという気持ちで、子供に笑いかけられるようにエネルギーを使って下さい。 

お父さんはそんなお母さんをきっちり支えてほしいのです・・」

 「子供」は「守られるもの」と言いましたが「支えられるもの」とも言えます。  ですが気になることがあります。 「支えられている」状態は見方を変えれば 「よりかかっている」状態、つまり「依存」していることにならないか? という ことです。 さあ淀キリで「癒し」の言葉はかけられても「俺が治してやるから安 心しろ」とは言われない理由は?

 いましばらく子供さんのアトピーと家族との関係から考えていきます。 
(ちなみに自分以外のものに頼ることを「依存」と言いますが、自分の中に「支え」を見い出すことを「自立」と言います。) 

Vol.34 (2000.05)

子供のアトピーと成人のアトピー。 「支え」の話から話題は少しズレますが、この2つはどこが同じでどこが違うのでしょうか? 
私は基本的に同じものだと思いますが、ただ子供のアトピーは何年も、百年も前からあったものですが、成人のアトピーは問題となってきたのがここ20年位でしょうか? 
(もちろん過去に成人アトピーが全くなかった訳ではありません) お母さんの子宮の中で羊水しか知らなかった赤ちゃんの皮膚は生まれるといきなり世間の厳しい空気にさらされる訳です。 

多くの場合、十月十日の準備期間の間に皮膚は外の世界に対応するための機能を発達させています。 しかしその準備が十分でなかった場合、外からの温度や湿度の変化などの刺激に耐えきれずに皮膚炎が生じてしまいます。
 これが乳児湿疹で(乳児脂漏性湿疹はまた別ですが)、皮膚の防御能力と外界からの刺激の強さの差から生じた「不適合状態」といえます。

そして皮膚は、外の刺激にさらされて皮膚炎を生じながらも適応していこうとしているのです。 そのために1才頃には、皮膚は、とりあえず1年過ごして「1度経験した環境が巡ってきたな」ということでようやく落ち着き始めます。 
(しかし温度や湿度のコントロールが今ほどしっかりしていなかった時代では、季節の変わり目に悪化していた乳児湿疹が、最近では温度、湿度の変化がない状況《家の中》と、変化する状況《家の外》との間の行き来が激しく、ゆっくり環境の変化に対応する時間がないせいか、乳児湿疹も治りにくくなっているように思います) 

ところがアトピーの赤ちゃんは皮膚のバリヤー機能が弱いために「不適合状態」が続いてしまいます。 この状態は最終的に二次性徴に伴う皮脂の分泌増加と成人の免疫システムの完成に伴って抑えられるのが普通です。 
(これがよくいわれる「思春期頃にはアトピーは治る」ということです。 ただし「抑えられる」のであって「アトピーの体質」が消えるわけではありません) 

長くなりましたが、子供と成人のアトピーの差は、後者が条件さえ整えば「抑えられる」のに対して、前者は治る条件が整ってもある程度「待つ」ことが必要かもしれないということです。 それ以外は憎悪因子としてのストレスも含めて同じと考えていいと思います。 とりあえず前置きをしてから次回本題に入ります。    

Vol.35(2000.07)

子供のアトピーの続きです。さて子供のアトピーの治療とは? 基本的には大人のアトピーと同じです。ストレスの除去と正しい生活習慣、そしてスキンケア。「ストレスの除去」は前からお話ししてきたように、ストレスと感じることを文字どおり「除く」ということではなく、受け止め方を変えて、自分をさらに強くするための「糧」にして充実感を得ようとすることです(そうするための方法を色々考えているわけですが)。

子供においては?
乳児の時期はストレスとなるのはやはりお母さんの表情・態度でしょう。ですからお母さんが情報に振り回されると笑顔が消えて赤ちゃんを不安にさせ、ますます症状が悪化してますますお母さんも不安になってさらに新しい情報に飛びついて行くという悪循環になってしまいます。

そのために33号で書いたように、お母さんは肩の力を抜いて、不安でも 笑顔を作ることにエネルギーを使ってほしいのです。そしてそのお母さんの不安をお父さんが支えてあげてほしいのです。ここで「支え」がでてくるのです。

幼児期から学童期は?やはり親の笑顔が必要ですが、この頃になると痒みなどの不快な症状がストレスになるでしょう。そこに友人関係や担任の先生との関係、中には両親の不仲など複雑な家族関係の問題も生じてくるかもしれません。
そこには成人のアトピーの方が抱えている問題と同じものが見え隠れしているのです。ある意味で、この時期の指導が一番重要なのかもしれません。

乳児期は「生活習慣」「スキンケア」はもっぱら親の機械的な作業になることが多いのですが、幼児期から学童期になるとこの2点がむしろ重要になってくると 思うのです。それが後のストレス・コントロールにつながり、「自立」ということにつながっていく、つまりこの「支え」の章のポイントになるのです。

どういうこと?
今までは「ストレス」や心の問題を重要視してたのに?成人の場合も同じなのですが、特に子供のアトピーでは「ストレスの除去」「生活習慣」「スキンケア」は三位一体だと思います。そしてここで一度基本に立ち返って見ましょう。
「増悪因子の除去」をも含んだ最も広い意味での 「スキンケア」。そもそも「スキンケア」の基本的な考え方とは?それは 「自分で自分の皮膚を守る」ことなのです。続きます。

Vol.36(2000.09)

『自立』と『スキンケア』の関連とは? 前回の最後に述べたように、スキンケアの基本的姿勢とは「自分の皮膚は自分で守る」ということです。
「スキンケア」とは一般的には、皮膚が乾燥してきた時の保湿剤の使用法であるとか、入浴の仕方であるとか、方法論が主になりがちですが、本当に大切なのはその行動の裏にあります。

 具体的なケアについて考えてみます。夏であれば、憎悪因子として「汗」があげられます。「汗」によるかゆみには、発汗時のものと、首や肘、膝の内側などに汗がたまって起こるものがあります。汗に対するケアとしては、最近のアトピー用小冊子などには「汗をかかないように、クーラーの効いた部屋などにいるようにしましょう」と書かれているものもあります。

しかしそういう状況に慣れてしまうと、運動時や暑い環境などの体温上昇時に、適切に対応できなくなり、汗を作る過程で体内のイオンやミネラルを残せなくなり、本来中性であるはずの汗がアルカリ性に変化し、同時に体内のイオンバランスが狂いやすくなってしまいます。

だからといって何も対策を立てずに汗をかけばかゆみに襲われるのは御承知のとおりです。そこで、不必要に汗をかく必要はないわけですから、普段は涼しい環境にいればよいことになります。ただしそれを最優先して外出をこわがったりするのは精神的にマイナスですから、必要な時は外へ出るべきでしょう。この時、対策として汗がたまりやすいところにたまらないように工夫しなければなりません。
ハンカチやタオルでこまめに汗をふく。それでいいのですが、「ふく」と刺激になってかゆくなるので「押さえて」吸収させるのがよいでしょう。

 そのためにはハンカチよりも、吸湿性のよいタオルがよく、少し冷やされた「おしぼり」などがベストでしょう。荷物になりますが保湿タイプの水滴などに小さなおしぼりを冷やして持って出るとよいかもしれません。そしてできれば今度は発汗を正しくさせるために、シャワーがすぐ浴びれる状態で、運動したり半身浴やサウナに入ったりして、汗が出るべきして出る状態で汗をかき、それをすぐに流す、ということを行って、自律神経系を鍛えられれば言うことはありません。これが夏の「汗」に対するスキンケアですが、さてこれが実行できるかどうか。

単純にして最大の問題点は「面倒臭い」ということでしょう。これは他のスキンケアにおいても同じことですが、簡単に本に書いてある事柄、しかしそれを実行するのは結構面倒なことです。つまるところ「スキンケア」は実行にあたって、ある種の「ストレス」が伴うのです。 

さて子供のアトピーにおいてはなぜ『スキンケア』なのか、『スキンケア』がなぜ『自立』と結びつくのか? 次回少しづつ深めていきたいと思います。

Vol.37(2000.11)

スキンケアは面倒くさい!そう言われるとみもふたもありませんが、そのとおり。成人ですらそう感じることを、まして小児が進んでやってくれるはずもありません。
アトピーの本によく書いてありますが、『スキンケア』に関するところで、よくもま あ人の気も知らないで好きなようにややこしいことを書いてくれているものだと感じられた方はいないでしょうか? 

部屋の掃除の仕方、入浴の仕方、前回示したような汗の処理、保湿剤の塗り方、軟膏基剤の選び方、暑い時・寒い時のコントロール、肌着の選択、汁が出た時の対処法等々…(しかし外来では、ストレスや生活習慣に関する話をしても、ぼんやり聞き流してしまわれて、これらのこまごました話をしますと、急に生き生きしてメモをとられたり、盛んにさらに重箱の隅をつつく質問をされる方が多いのも事実です)これらは極めて重要なことで、決しておろそかにしてよいことではありません。
しかし「形」がはっきりしすぎているがために、それにはまってしまうことがあるのです。つまり「それだけやっていればよい」という考えです。(このことはフィットネスに通いさえすれば良くなる、生活習慣をただしさえすれば良くなる、という考えにもつながります)

 確かに、真の意味でこれらのことが実行できたとすれば、結果的にはその方のアトピーは軽快していくはずです。私はむしろ「これらのことが実行できる状況が作れるのかどうか」、このことの方が重要であろうと考えます。

「めんどくさい」この感情は、行為そのものの肉体的負担が、その人がこの行為に感じている意義よりも大きいことを意味しています。
めんどくさくなく、いや最終的にはめんどくさいに決まっているわけですから少しでもその肉体的負担が軽くなるようにするには、その行為の持つ「意義」が大きくなればよい、という理屈になります。

そのために、小児のアトピーにおいて「スキンケア」の「意義」が大きくなることが必要なのです。成人に比べて小児の場合、皮膚のバリヤー機能やその下の免疫の発達の問題で、アトピーが治るであろう好条件が整っていても、ある時期が来るまではカサカサ肌が続いたりするということは、以前にお話しました。 そのため「いまだ弱い皮膚のために」スキンケアが必要であることは納得していただけると思いますが、この時期にもう一つ重要なことが前回出てきた「自立」ということです。

 そしてこの2つのポイントを合体させることが、お母さんのストレスが直接症状と結びついていた時代を超えた、次の段階へ移った小児のアトピー性皮膚炎の治療の柱になると考えます。続きます。

Vol.38(2001.01)

まわり道をしてきたようですが、結局「自分の事なんだから自分でするしかない」ということなのです。 基本的考えにしていかに実践することの困難なことでしょう か」それ故に小児の頃にこの基本を叩き込まなければなりません。これは「こういう(自分にとって不利な)事態になったのは私が悪いんじゃない。

OOのせいで私は被害者だ」という考え方におちいることなく、「自分の周りに生じている全ての事象について冷静に判断して、未来における自分を幸福たらしめるにはいかに行動すべきか」ということを常に問う姿勢なのです。

前者が過去に執着しているのに対して、後者は未来指向であることがおわかりかと思います。人との関係であれば、結局他人に(親であっても)自分の意思を伝える方法は「行動」と「言葉」しかないのです。「子供」は相手に対して自分の「行動」と「言葉」以上のことを要求します。

自分勝手な行動をしても、その裏にある本当の要求や真意が相手に伝わるのは当たり前、「相手はそこまで思いやってくれて当然なんだ」という思い込みがあり、相手が自分の期待を裏切る行動をすると不機嫌になり、「被害者の意識」が現れてきます。普段は冷静に に対処できても、いざかゆみに襲われたり、症状が悪化して滲出液が出たりすると、知らず知らず、このようなことになってしまうことがあると思います。
「そんなことはわかっている。皮膚の調子がよければ誰もそんな状況になったりしない!」そのとおりなのです。

 「私が悪いんじゃない、皮膚が悪いんだ!」ということになるのです。

さて「自分のことは自分でする」ことを小児に理解させるためにはこの「皮膚」が悪者になっては困るのです。「キャプテン翼」いわく「(サッカー)ボールは友達!」そう「皮膚は友達!」「皮膚はあなたの大切なパートナー」「皮膚を守ってやれるのはあなたしかいない」・・

 これらのキャッチフレーズは「皮膚を受け入れる」こと、つまり「アトピーである自分を受け入れる」ことにつながります。
 次回、「五体不満足」の「乙武(おとたけ)君」にも触れながら進めていきます。

Vol.39(2001.03)

さて、小児に自分の皮膚を、痒みが出てカサカサしている皮膚を、いかにして受け入れさせられるか? 
それは「特別扱いしないこと」。 

 「あなたは皮膚が痒くてかわいそう」と、親がそう感じて接すると、どうしても「特別扱い」になってしまいます。 「私はかわいそうなんだ」そう感じた時、その子は被害者になってしまいます。 では加害者は? 親? 季節? 神様? 私の皮膚?

 乙武洋匡(おとたけひろただ)君の「五体不満足」がベストセラーになりましたが、先天性四肢切断でなお、そのことにこだわらず、前向きに生きている彼のパワーとは? あの本を読んで、まず感心したのは彼のお母さん。 
生まれて1ヶ月たってから初めて見た、手足のない息子を「かわいい」と一言。 つまり、彼をありのまま受け入れることができた、ということでしょう。 全てはそこからスタートしたということだと思います。  

 かきむしっている我が子を、そのまま受け入れることは難しいことです。 「かわいそうに」「なんとかしなければ」と思うのが当たり前の親心。 
しかし「特別扱い」の根底には「その子の(炎症状態の)皮膚の否定・拒絶」があり、親が「特別扱い」に疲れてくると、掻いている姿が「かわいそう」から「何で掻くんだ!」という理不尽な怒りに変わることもあります。 掻くと増悪するから掻くのを止めさせたい‥ という理屈ではなく、「掻いている姿に腹が立つ」という、「皮膚炎の否定」から「皮膚炎に負けてかきむしっている我が子の否定」へと連なる危険な兆候です。 
「特別扱い」された小児は、不利な状況になった時、前回示した「私が悪いんじゃない‥」的被害者の意識に陥りやすく、親の「皮膚炎に負けてかきむしっている我が子の否定」を受ければ、「自分は生まれて来なければよかった」的な自己否定に追い込まれてしまう場合もあります。           

 そうならないためには? 「かゆくてかきむしっててもいいじゃないか。皮膚炎があっても、それであなたを他の人から区別したり、特別扱いしたり、同情したりする理由にはならない。あなたは特別じゃない。みんな同じ。

ただ皮膚が強いか弱いかだけ。だから、痒い分つらいけど、そこはなんとか工夫してがんばろう! 大丈夫、つらくなった時は、私はいつもあなたのそばにいるから‥」 受け入れて支えること。 そこから「子供」の自立が始まるのです。 
奇妙に聞こえるかもしれませんが、私は、「自立」への第一歩は「理想的な依存」、つまり十分に支えられることから始まるのだと思います。 

さて、そろそろメンタルな部分についての総まとめをはじめましょうか。 続きます。

Vol.40(2001.05)

 メンタルな部分の総集編として、私が別の目的で書いている文章の一部を示します。

 ‥心理面におけるアトピー性皮膚炎の増悪因子とは、「不安定な心」とでも呼ぶべきもの。 状況に依存し、不利な事象が生じると、受身的にストレスを感じて「被害者的な意識」に陥りやすい心理状態。 

「目標」や「自分の価値観」「生き方の美学」的な、ある種の方向性が定まっていないために、ストレスが、それを乗り越えることによって充実感や人間的成長をもたらすというpositiveな働きをせず、ただ心身を疲労させるだけのnegativeな働きしか生じない状態。 
これは「性格」に起因する部分も確かにあるであろうが、むしろ「時代」が生み出したものではないか? 過去において「アトピー性格」と言われるような人は少なかったのか? 

遺伝的にある種の性格は形作られており、それは変えることが困難であり、ある意味その人自身を示すものである。 したがって、生まれた後に生じた色々な影響によって「性格」が修飾されて、「アトピー性格」というものが出現してきたのではないか。 
それならばそれが形作られる修飾因子を考えれば、「アトピー性格」を克服し、本来の愛されるべき「日本人的性格」を持って「自立」することができないだろうか?

 筆者は以下の考察からそれは可能であると考える。          
ではその「時代」とは? 「豊かさ」が、生きるために生じるべき根源的な欲求を削りつつある。 生命活動の根源は「無に帰する」ことへの「抵抗」であり、それは常に身に降りかかる様々なストレスに対する戦いであり、自己を、そして子孫を守るための戦いに他ならない。

ヒト(及び愛玩動物?)以外の動物は、生存していくことそのものが乗り越えるべき根源的なストレスであり、時間的成長イコールpositiveなストレスを受けてきた証明であり、それはその個体の本質的な成長を表すことにことに他ならない。 

ヒトにおいても、状況・時代によっては、他の動物同様、時間的成長が精神的成長と等しくなる場合がある。 生きることに必死にならざるを得ない状況では、人は否応なくその状況に立ち向かうことになり、それはその個体の精神的成長を促す。 

しかし何もしなくても生きていける、その状況下において自らを成長させることは、相当な克己心がなければ成し遂げられない。 目標や夢を掲げる前に無限の選択肢が広げられると、その中からひとつ選ぶことに対して「不安」を抱き、選んだあとも別の選択肢がよかったのではないかと迷う。 「豊かさが生み出した、自由という名の不安」である。 

その中で、人生の目標を掲げ、夢を抱いて、一つの方向性を持って、自分を磨き鍛えていくこと‥ そのなんと困難なことか! 太平洋戦争を経験した人が現代の若者の軟弱ぶりを嘆いているとしても、その人物が現代に生まれていれば、おそらく同様の軟弱ぶりを披露していることであろうし、現代の若者が大正時代に生まれていれば、同様に戦争を、歯を食いしばって生き抜いてきたであろう。 

それでは強制的に耐乏生活を強いてみれば鍛えられるのか? 自らそれを望めばよいかもしれないが、おそらく他の、同世代の人間の暮らしぶりと比較して、「なぜ自分だけが」という受身のストレスが生じて、うまくいかないであろう。 

本当の、「時代」が生み出した耐乏生活では、それは「必然的状態」であり避けられないものであること、さらに不公平感を生み出す「他人との差」というものがなく、みんな苦労しながら同じ生活をしているのであれば、そこから生じるストレスは本人にとって「受け入れざるを得ないもの」となり、それを「受け入れることができた」人はそのストレスによって「成長」し、「強く」なれる。 それでは今の時代で「成長」すること、最終目標である「自立」を勝ち取るためにはどうすればいいのか? 

ストレスが生じた時、それに対応するには、基本的に「受け入れる」か「戦う」かのどちらかしかない。 そしてnegativeなストレスは、「受け入れる」べきことが受け入れられない、「戦う」べきことから逃げることから生じる。 さらに受け入れるべきことなのか、戦うべきことなのか、それが判断できなくて悩む時にも生じる。 

ストレスへの対処の仕方、「受け入れる」か「戦う」かは結局そのストレスの持つ意義、その人が何を求めたために生じたものかによって決まってくる。 仕事の意義、学校の意義、家庭生活の意義‥ これらのものを考えねばならない「時代」なのだと思う。 そしてその根底には、目標、夢、価値観、美学、憧れ‥ 真面目な顔で話すと苦笑されてしまいそうなことが本当に求められる「時代」である。 

かつて「夢のマイホーム」に向けてスチャラカ社員が社長を目指していた高度経済成長期に個人が課せられていたノルマと責任の重さは、「少しいいものが買えて、時々旅行ぐらいできれば」と考えている現代のサラリーマンに課せられているノルマと責任の重さよりも、むしろ軽くはなかったか? 

志しの高かった時代の方が、志しの低い現代よりも、仕事の内容的には楽だった? 
確かに現代の方が便利だが、処理すべき情報が多い分、責任は重くなっている。 それ故に、なおさらそれに打ち勝つだけの「目標」が必要になる。 
まして「皮膚炎」があればなおさらである。 

皮膚炎が悪化することが分かっていても、仕事が減らせず、その結果予想どおり皮膚炎が悪化して、自分を悲劇の主人公にしてしまう‥ こうならないためには? 
その仕事の意義を自分がどうとらえているかを考え、皮膚を犠牲にしてでもやらねばならない「意義」があるなら、「被害者」にならず、万全の用意をしてそれに立ち向かうしかない。 意義が見出されないのなら、皮膚を犠牲にする意味はない。 

その判断をいかに下すか? 「被害者」になることなく、冷静に状況を見極めて、自分の皮膚を守るための最大限の努力と万全の用意を整えることは容易なことではない。 
そのためにはまず自分の皮膚を「受け入れ」なければならない。 「皮膚」は「敵」ではなく、自分の「不安定さ」の犠牲者であり、愛すべきパートナーである。 

その皮膚を守るのは自分しかいないということを認識する。 その意識に到達することこそ「自立」に他ならない。 

どうすればよいのか? 

今、この「時代」においては、人は「支え」を必要としているのだと思う。 「支え」と「依存」の違い。 「依存」とは「他のものをたよりとして存在すること(広辞苑)」でありそこに「主体性」は存在しない。 筆者の考える「支え」とは、ある目的を達成するために援助してもらうことで、そこにははっきりとした「主体性」がなければならない。 

では具体的な「支え」とは? 「子供」が「成長」するには親の「支え」がなければならない。 とりあえず、生まれたての「子供」はその存在のすべてを支えてもらわねばならない。 
しかし親は徐々にその「支え」の方向性を「自立」に向けていかねばならない。 必死に生きていかなければならない時代、「子供」は勝手に「大人」になっていた。 

今は、うまく「支え」られなければ「大人」になれない時代だと思う。 何を「支え」るのか? 最初に言ったこと、「不安定な心」を支えるのである。 「自分のことは自分でする」この大前提に立って、「子供」に生じたストレスを見極めて、戦うべきものは戦わせ、受け入れなければならないものを受け入れさせる。 
この時に、優しく支えてやれるかどうか。 年齢に関係なく、「自立」前の「子供」には「甘えてはいけないこと」と、「自立」のためにむしろ「甘えるべきこと」がある。 

我々がよく口にする「早寝早起き腹八分」や「適度な運動」など、「悩む」対象とならない(ある意味当然行われるべきこと)ことがらはやはり「甘えてはいけないこと」である。 
「受け入れる」べきか「戦う」べきかわからないこと、わかっていても不安で行動できないこと、これがある意味「甘えるべきこと」である。 

それは自分の弱さを告白するようなもので、むしろ勇気がいることかもしれないが、その「悩み」「不安」を打ち明けること、相談することが大切である。 

理想的な「支え」は、無条件でその「不安」を受け入れて、「安心」を与えること。 「子供」は、外から見て自立した行動(「自分のことは自分でやる」)をとりながら、内面の「不安」を「支え」られて、「経験」をつみ、やがて「不安」を自己解決する力を持ったとき、「自立」する。 

アトピーでは往々にしてこの逆の状態、「甘えてはいけないこと」を甘えて、「甘えるべきこと」を甘えない場合がある。 「生活習慣」に属する睡眠コントロール、食事の時間とその内容、身の回りの整理‥ これらについてつい「甘え」てしまうことが多い。 

夜眠れないので昼まで寝る、食事の時間はバラバラで間食が中心になる、身の回りのことは布団の上げ下ろしからすべて親まかせ‥ 親もまたこの状態にどう対応してよいかわからず、「このかゆみがわかるものか」と言われれば、何も言えずにその状態を容認してしまう。 

そして本来「甘えてもいい部分」、その態度の中で本人が本当に悩んでいること‥―このままじゃダメだ。でも何かするにしても、湿疹が悪くなるかもしれないし、不安で自信がない。かゆみの発作に襲われたら、駄目だとわかっていても血が出るまでかいてしまう。
かくな、と言われても止めようがない。自分でもこのままじゃだめとわかっていてもどうしていいかわからない‥―こういう、考えても堂堂巡りするようなことを、相談もせずに自分でかかえこんでしまう。 

親もまたこの点について、どうしてよいかわからず、仮に相談されても一緒におろおろしてしまう‥ 

かくしてこの関係において、この人の「成長」はなかなか訪れないということになる。 理想的には親(あるいは配偶者、親友、その他「支え」となるべき人物)のするべきことは、まず「不安」を取り除くこと。 
親自身がいかに不安であろうとも、笑顔で受け入れること、「何があっても守ってやる」と無条件な安心を与えること。 その努力をした上で、甘えてはいけないところを正して、生活を改善させる。 

「支え」ることをせずに、口やかましく生活態度だけを正そうとすると、逆効果になることが多い。 生活態度を正すことは、人にある種の自信を与えることになる。 

−私は誰からも非難を受けるような生活はしていないんだ− 

そして「不安」を「支え」られることで、次の行動へ移ることができる。 「目標」を掲げて行動の「意義」を見つけること。 
この関係において、この人の「成長」は促進される。 

しかし本人もまた、「支え」を待つだけでは何も始まらない。 すでに成人している人間に対して、誰が無償の「支え」を提供してくれるというのか。 自分の周囲の状況を変えるためには、自分が変わらねばならない。 自分の発する言葉と自分の態度、これだけしか気持ちを相手に伝える手段はない。 

皮膚炎に疲れると、他人に対して無意識の内に気配りを要求してしまう。 −私はこんな状態でこんなに悩んでいるのに、なぜあなたにはそれがわからないの?− 「被害者」の意識は他人に理不尽な要求を突きつける。 
その根底には「こんなことになったのは私が悪いんじゃない」という気持ち。 しかし本人に落ち度がなくても、敵に食べられてしまったのでは、野生の世界では言い訳にもならない。 
自分の幸せをつかむのは自分しかいない。 「支え」になって欲しい人物に対して、あなたはどんな態度でどんな言葉を発したのか? 
もし自分がその相手の立場なら、今の私の支えになってやろうと思うだろうか? 

そう考えて、まずしてほしいことは、「甘えてはいけないこと」を甘えずに歯を食いしばって行動してみること。 その態度を示した上で、悩みや不安、相談したいこと、「支え」てほしいことを打ち明ける‥ 筆者はこの「支える人」と「支えられる人」との歩み寄りが大切であり、それがなされない時に、場合によってはカウンセリングや家族療法などが必要になってくると考える。 

もちろん、人によって「自立」の度合いは違うわけで、必ずしも「支え」がなければ「自立」できないわけではない。 「不安定さ」をかかえながらも、それでも日常生活を送っている内に、経験値が増えていけば、自然に自信がついてきて「自己コントロール」ができるようになるものである。 

ただ、「不安定さ」をかかえている間の、皮膚炎の強さ、増悪のレベルが問題になる。 許容範囲を超える場合に、皮膚炎の存在がさらに「不安定さ」を増大させ、「被害者の意識」を拡大する。 したがって「支え」がない状態で、許容範囲を超えた皮膚炎に対して‥

さて次回から「許容範囲を超えた皮膚炎」に対する「治療」を考えていきます。

Vol.41(2001.07)

前回は失礼いたしました。 
長ったらしく、えらそうなことを書いてしまいました。 

さて、許容範囲を超えた皮膚炎に対して何ができるのでしょうか? まずは一般論から、「支え」を求めてもそう簡単に手に入るものではない、「自立」を望んでもそう簡単にできるものではない、そうするとメンタル的には一工夫しなければなりません。 
ここでは今まで紹介してきたテクニックをまとめてみましょう。 
まずは「お楽しみモード」について。 仕事から帰ったとたん、かゆみが爆発する時は、単に心が空白のまま緊張感が途切れてしまうから。 
そうならないために「仕事モード」から「お楽しみモード」に引き継ぐ工夫をして、ある意味緊張感を継続してみては?と、19号で書きました。 

それに加えて、そういう「自分のオアシスタイム」を確保し増やすために、仕事を早く切り上げる努力をする。 時間に追いかけられるのではなく、自分から追いかける。 そうすれば主体的に仕事をこなすことにもつながって、一日の充実感が出てくるのではないでしょうか? 

続いて「スーパーヒーロー」法。 人生の目的や生き方の美学なんて、そう簡単に手に入らない。 なら既製品はどうでしょう? 子供の頃に憧れたスーパーヒーロー‥ 彼らの痛快な、豪快な生き方、笑って死ねる人生、あんなもの空想の産物だと白けないで自分にあてはめてみては? (これは28号で書いたかな?) どうせ泣いても笑ってもいつかは死ぬ人生、同じ生きるなら自分の本心がわくわくするようなドラマを演じてみませんか? 

今こうしているこの時もあなたはドラマの主人公。 かっこよく言葉や態度を決めてみては? そして生活習慣を正すこと。 これはメンタルな部分と独立している様ですが、しっかりメンタルな部分とからんできます。 

それを実践することは、ある種の「甘え」を克服することであり、自分に対する自信がつきます。 早起きが、朝食の時間をゆっくりとらせ、朝の活動が副腎を刺激して、自分のステロイドがたくさん出てきます。 

そうすると体が目覚めて活動的になり、仕事への取り組みが積極的になり、さっき述べた時間を追いかけるパワーになります。 気持ちに余裕ができると「笑う」ことが可能になり、「笑い」は時には強力に免疫力を高めることがわかっています。 また、「笑う」ことのできる人には人が集まりやすく、いい情報がもたらされる可能性も増えてきます。 

ちょっとした日常の変化が当人の予想をはるかに越えるプラス効果がでることがあるのです。 ただし以上のことはあくまでも、自分の皮膚の状態を受け入れてなお、前向きな気持ちで取り組めなければ空回りしてしまいます。 

「そう行動することによって本当に治るのですか?」 この形で質問してこられる方の多くは残念ながら、なかなかうまくいきません。 考え方のベースに、「指導されたとおり行動することで治してもらう」という「依存」があるのです。 こ

れは決してその人が「弱い人間」だからというわけではなく、その人の皮膚炎の歴史、傷ついてきた心の疲れ具合、これらによってどんな人でも陥ってしまう「依存」状態があるのです。 これが「許容範囲を超えた皮膚炎」なのです。   それを乗り越えることが、「依存」のハードルを乗り越えることが、「治療」といえるのかもしれません。 許容範囲を超えた皮膚炎の「治療」、続きます。

Vol.42(2001.09)

許容範囲を越えた皮膚炎‥ 前回はこの定義があやふやであったようです。 といっても別に定義があるわけではなく、そのまんまですが、人によって、状況によって違ってきます。 

まず皮膚炎のレベルが強すぎて、夜眠れなかったり、外へ出て行く気がしなかったり、淀キリでいうところの「アトピー治療」ができない状況がそうでしょう。 それ以外に、客観的に見て、許容範囲かなと思われるレベルの皮膚炎でも、本人にとっては苦痛でしょうがない場合。 
そして、かつてはもっとひどい状態の皮膚炎を克服してきた人で、今は随分よくなっているように見えるのに、その(ある程度コントロールされた)皮膚炎の存在に疲れてしまった場合‥ 特に最後の場合は、こちらが気づかない内に、だんだん追い詰められていってしまうことがあります。 長い間、ステロイドOFFの状態で、それなりに落ち着いて見える人には、医者の方も、今更その人に、残った皮膚炎に対してステロイドを薦めることはないでしょうし、ご本人も、少し皮膚炎を抑えたいと思っていても、なかなか言い出せなくなってしまうこともあるでしょう。 

ここでもう一度基本に立ち返ってみましょう。 淀キリのアトピー治療の根本は? 特に特効薬があるわけではありません。 基本的には患者さん本人に治ってもらう、自然治癒力がメインです。 そういうと何か物足りないような、頼りないような、そんな感じを受ける方もおられるでしょうが、これがなかなかあなどれない。 

本来皮膚は、2ヶ月以内(以前は1ヶ月と言われていました)に全ての細胞が生まれ変わるだけの、パワフルな回復力を持った臓器ですから、内側から皮膚炎を治し始めると結構素早く治ります(色素沈着は残念ながら時間がかかりますが治ります)。 
しかしながら、ステロイドを止めさえすれば、自然治癒力が働いて、アトピーは治るのかと言われれば、そう簡単なものではない。 そもそも、ステロイドを使わなければならないような皮膚炎が生じた、という厳然たる事実が存在している以上、その時にはその人の自然治癒力を上回る増悪因子が、アトピーを生じせしめたということであり、その増悪因子が除去されなければ、治癒力が働いていても皮膚炎は生じてしまうことになります。 

そこで我々が介入して、増悪因子についてあーでもない、こーでもないと、お話させていただいて、それを取り除いたり、克服したりするお手伝いをする。 それが淀キリでやっていることです。 情報の整理、睡眠バランスや食生活、メンタルな部分の調節‥ それでも皮膚炎の存在そのものが重くのしかかっている場合、そのことが増悪因子として働いてしまう場合は、外来でステロイドOFFのままでは困難な時があります。 

さて次回から「入院」「ステロイド」と、重要テーマが続きます。

Vol.43(2001.11)

今回から「入院」治療(淀キリの)について考えてみましょう。 
さて、淀キリに入 院して頂いたことのある方は、お分かりだと思いますが、入院したからといって何か 特別な治療法があるわけではありません。 
ほとんど「時間」と「場所」の提供だけ で、外用・内服は基本的に外来と同じです。 しかし、多くの方が、それだけできれ いになっていきます。 

このことは、ステロイドの問題がまだ表面化していない頃か ら、「アトピーは、入院するとよくなる」ということが、皮膚科の中で言われていま した。 その理由として、アトピー(性皮膚炎)の原因をダニやハウスダストのアレルギーだと考えられていた頃は、入院した病院、特に病室内のアレルゲンの量が、日常生活の場よりも少ないために、症状が軽くなる、と説明されてきました。 事実、 私が研修医だった時(1988年ですね)、当時の病棟医長の清水先生(現神戸労災 病院皮膚科部長)に、アトピーの患者さんの教育入院について教えて頂いた内容は、 「患者さんは、入院すればステロイドを使わなくても治っていく。

家と病院とどこが 違うかは、アレルゲンの量の違いが大きい。環境によって、アトピーはコントロール できることを学んでもらって、家で実践してもらうことが教育入院の目的だ。」とい うことでした。 

清水先生も、当時はまだ心理的ストレスの問題はあまり大きく捉えておられなかったようです。 ただ、入院によって、アトピーはステロイドがなくてもコントロールできるものだということを学んで頂き、外来でそれを実践する、という基本的な部分は同じです。 

今では、入院によってアトピーが軽快する理由は、アレルゲンの問題ではないと考えています。 もちろん、全員が軽快するわけではなく、 ツルツルの肌に戻るというわけではありませんが、入院の効果について考えてみます。  
それにはアトピーの増悪因子と、防御因子についてまとめておく必要があります。  おわかりと思いますが、アトピーに限らず、病気が発症したということは、その個 体の防御能を上回る増悪因子が存在しているということです。 

これは極めて相対的 な問題で、人によって発症の状況は異なることを示します。 むちゃくちゃ厳しい増 悪因子の真っ只中にあっても、その人の防御能力がこれまた強くて、その増悪因子に 立ち向かえる状態であれば、症状は出ませんし、逆に防御能がひどく小さければ、ほ んのちょっとした増悪因子にも反応して症状が出てくることにもなります。 
さて、 これらを踏まえて、入院時の増悪因子と防御能の変化について考えていきます。

Vol.44(2002.01)

入院時に像悪因子と防御能がどう変わるのか。 もちろん増悪因子の除去=防御能のアップに他ならないのですが、微妙なところで、入院して簡単に良<なる人と苦労する人か出てきてしまいます。

単純に、入院して改善されるであろうものの一つが食事。内容・カロリー・食事の時間、これらが病院で決められるために、規則正し<バランスの取れたものが食べられるようになります。
間食は禁止。飲み物もお茶や水にしてもらって、清涼飲料水などカロリーを含むものは禁止。続いて睡眠。早建学起きを実践していただきたいので、強制的に朝起こして、昼寝ないよう仁して、夜寝てもらう。当たり前のようで、中々できない。

睡眠導入剤も使用することかあります。そして昼間体を動かしてもらう。症状が許せば、フィットネスに参加してもらうのもいいでしょう。生活リズムの乱れや、休みがとれなかったことか大きな増悪因子であった場台は、これら物理的なことで軽快か得られることでしょう。
ただし、多<の地合、この物理的な増悪因子のコントロールだけでなく、メンタルな部分での増悪因子のコントロールが必要になってきます。入院することで、メンタルな部分はどう変わるのでしょうか? 正直に言うと、それは個人で違うので影響は様々です。でも良くなる人と、てこずる人との差はこの所だと思うのでので考えてみます。

 入院することで気分が楽になるかどうか。ここが一書大切なところです。「楽になった」といえる場合、それはなぜか? 忙しすぎて肉体的に疲れていた時は文字通り「楽になった」といえるでしょう。「休息」という意味です。人間関係のしがらみから離れることができた、ということもいえるでしょう。

「解放感」という書味でしょうか。細かく考えていくとややこしいので、この「休息」と「解放感」について書いてみます。

さて、入院して「休息」「解放感」が得られるかといえば、必ずしもそうでない時があります。経験された方も多いかもしれませんが、「焦燥」つまり「早く治らなければ」という焦りが「休息」を壊してしまうのです。そして入院しても断ち切れない「しがらみ」が「解放感」を感じさせなくしてしまいます。

こういう状況に対して、こちらからは必要に応じて色々アプローチを試みます。次垣は私なりにアプローチの仕方を考えてみます。(メンタル編の補足になりますかもしれませんね)

Vol.45(2002.03)

アプローチの仕方といっても、結局は患者さんから学んだことが多いのです。入院してよくなった方がこんな話をされました。
「ここ(浸キリ)だとアトピーでいられる」
うっかり聞き違えると、「甘えちやいけません」と言いそうになりますが、この人が言いたいのは、「入院前は、私はアトピーであることが許されなかった。職場でも家庭でもアトピーであってはいけなかった」ということです。同じ気持ちの方もおられるでしょう。
 この人は別に周りから強制されたわけではありません。自分でアトピーであることを拒み続けておられたのです。「ずっと戦っていたのですね」と声をかけると彼女(女性の患者さんでした)は泣き出してしまいました。

アトピーであることを受け入れること。これは簡単に聞こえますが難しいことのようです。まずは症状が出ていること、つまり湿疹が出てかゆみがあること、を認識することから始まります。

それはお前、当たり前だろう、とおっしやる方も多いでしよう。ところが、れっきとした皮膚という人体の重要臓器の一つが病気になっているにもかかわらず、それを無視しようとしている方がなぜか多いのです。

外来では「皮膚が悲鳴を上げていますよ、休めませんか?」と言っても「とても無理です」と、とんでもないという風に苦笑されてしまいます。でもこれが心臓だったら? 肝臓や腎臓だったら?「とても休めない」ではなく「なんとかして体まなくちゃ」と、考えが変わりませんか?これは(皮膚科としては少し悔しいのですが)心臓や肝臓、腎臓、胃や腸は身のうちで、ごく自然に自分の命と連動して考えることができるのです。

自分の身と一体化して、異常があれば、自然とそれを守ろうとするのです。皮膚も同じ臓器なのになぜか一体化せず、いたわってもらえない、かわいそうな立場こあります。「こんな大事な時に顔が赤く腫れて、とても外へ出られない!」 こんな時、自分の皮膚に腹が立つことばあっても、いたわってやろうという気持ちには中々なれないことでしょう。

そして、皮膚の症状→自分の身体の異常→いたわりの気持ち→共によくなっていくには?という「受け入れ」のラインからはずれて、皮膚の症状→現在の自分の立場・他人との関係からその存在は許されない→皮膚炎の存在の否定・拒否→葛藤・自己否定(ここにステロイドがからんでくることが多いのですが)となっていく危険があるのです。入院の大きな意味がここにあるような気がします。続きます。

Vol.46(2002.05)

結局、初心に立ち返ることが大事なのです。
風邪のひきはじめに「休まなくちゃ」「無理したらあとでひどくなる」と思うように、皮膚が悪くなった時に、「皮膚を悲鳴を上げている!皮膚を癒してやらなきゃいけない」と、自然に思えるようになって頂きたいのです。ただ、風邪の時は、誰かが教えてくれるまでもなく、「あったかくして睡眠を十分にとること」などということが、ずっと頭に浮かぶでしょうが、皮膚を癒すとは?
 
残念ながら、こういったメンタルな部分がからんでくるような新しい疾患は、動物の本能に組み入れられていないようなので、「皮カを癒す」ことは理性を働かせて考えなければならないみたいです。

 結論から言うと、皮膚を癒すことイコールアトピーの治療そのものだと思うのです。
 スキンケア、早寝早起き腹八分、メンタルな問題(前向きな姿勢、発散・気分転換、被害者意識を乗り越えること‥)など、いつものお話です。なんだ、いつものことじゃないか、ということですが、重要なのはこれがいつ行われるかなのです。つまり順序です。

 心不全を起こして、体がだるくなり、足が浮腫になって腫れてきた人が受診されて、「これじゃ仕事にならないから、なんとかしてくれ」「無理をすると大変なことになりますよ、休めないのですか?」「とても無理だ 薬で抑えて、それでだめなら仕事考えるよ」

 実際こんな会話が成立することはないでしょう。現実に心臓が悲鳴を上げていると気ついていれば、まず仕事どころではなくなって、自分なりに養生しながら病院へ来られるはずです。
しかしこれがアトピーであれば、上の会話はごく当たり前に交わされているでしょう。
(そしてアトピーの場合はステロイドが処方されて、その場合、初期であればご存知のように効いてしまいます そしてこの人のとるであろう行動は‥ これはステロイドの話の時にまとめてやりましょう)
私のいう順序とは、皮膚炎の悪化→皮膚を癒すための行動→足りない部分を補う意味での薬物治療‥というのか正しいのでは?ということです。

現実は皮膚炎の悪化→薬物治療→効果の減退により仕方なくドロップアウトして間接的に皮膚炎の癒しにつながる、あるいはそれでも癒すことかできずに(その発想がないために)にっちもさっちもいかなくなる‥ こんな感じでしょうか。

そしてこの「薬物治療」がステロイドであったため、なまじ効くがために、「皮膚を癒すための行動」がとられることなく、この期間が十数年、数十年となってしまい‥この件は先程も述べたとおり後ほど。

 もしも、順序が逆だったら‥皮膚炎の悪化→皮膚を癒すための行動、と直接思い浮かべられるようになっていれば‥
 そのためには、「皮膚を癒すための行動」が皮膚炎の鎮静化につながることを体験してもらうしかありません。
それが入院の目的であり、玉置先生が言われる「入院=アトピー学校の入学」という意味なのです。
 さて次回からいよいよ「ステロイド」について考えていくことにいたしましょう。

Vol.47(2002.07)

1952年にSulzbergerらが酢酸ヒドロコルチゾン軟膏の皮膚疾患に対する有効性を報告して以来、今日まで約30種のステロイド外用剤が日本で認可されてきました‥ などという説明は、ものの本には多数書いてありますので、一般的なことはよしとさせて頂きます。
 いきなり結論から入りますと、炎症を抑えたい時、ステロイド以外に(免疫抑制剤を除いて)すぐに症状を和らげることができるものはない、ということです。 

この言葉は、淀キリで、玉置部長の診察を受けられた方は、必ず一度は聞かされたはずです。 これは、ステロイド離脱=ステロイド以外の何か別の治療法、という安易な発想を頭から消して頂きたいために言われていることですが、実際そのとおりなのです。 

ではなぜよく効くステロイドを止めるのか? はっきりしていることは、ステロイドが十分効いていて、日常生活にも支障のない方が、いきなりステロイドを中止して、現れてくる皮膚炎を耐えながら必死に生活しなければならない、そうしなければアトピーは治らない、いや、アトピーが治る・治らないの問題ではなく、ステロイドを続けることが体をボロボロにすることだから、とにかく中止しなければならない‥ ということは「ない」ということです。
(よーわからん文章っすね 徒然草だからいいか)よーわからん時は、基本に戻るのが私めの発想の原点ですから、基本にもどりましょう。 

まず医療の基本として、薬剤を用いる場合、大切なことは、その薬剤を使用した時の「メリット」が「デメリット」を上回ると判断された時、その治療は正当性を持つことになります。 
(何せこの頃はEBM=evidence based medicine根拠に基づいた医療というものが叫ばれておりますから) そうするとステロイド外用剤を使用した時の「メリット」とは? 

いうまでもないことですが、「効くこと」であります。 症状が緩和される、夜眠ることができる‥ では「デメリット」は?ここから「ステロイド編」が始まります。

Vol.48(2002.09)

 ステロイド外用剤の「デメリット」とは? まず思い浮かぶのが「副作用」! おそらくこれが最大の「デメリット」であると思われている方も多いと思います。
 一般的に言われている(ホントかウソか別にして)ステロイド外用剤の副作用とは? 易感染性、皮膚萎縮、毛細血管拡張、紫斑、赤ら顔(酒さ様顔貌)、多毛、皮膚癌の発生、緑内障、白内障、色素沈着、副腎不全、満月様顔貌、高血圧、糖尿病、リバウンド‥ さて他にも「依存」とか「効果の減弱」「廃人になる」とか。

 これらは確かに副作用として認められるものと、内服ステロイドの副作用、根も葉もないこと、副作用ではなくそのものの「性質」といえるものなどが混ざっています。
 具体的にみていきます。
 易感染性=感染が起こりやすくなる→ステロイドは局所の免疫を抑えるために、本来の皮膚の防衛機能まで抑えてしまい、細菌やウイルスなどがつきやすくなり、おできやヘルペスができることです。 
ただし、皮膚炎状態が長く続いている場合は、それだけで、皮膚の防衛機能は落ちており、細菌やウイルスがつきやすくなっています。
 そのため感染を繰り返し、場合によっては体内に入って、重症感染症となり、血液に入ると敗血症を起こして命にかかわってきます。
 むしろ適量のステロイドを使用して、炎症を抑えることで皮膚の防衛機能が回復すれば、少々の感染は抑えられてしまいます。

 このことは、皮膚科学会がステロイドの使用を積極的に薦める理由の一つです。(この件は後ほど説明いたしましょう) ところが、ステロイドバッシングが強かった頃にはステロイドに慎重であった医師達が、最近また慎重さを欠くような使用を始めたのか、ヘルペスやニキビにステロイドが使われて、ひどくなった人の受診が増えているように思います。

 皮膚萎縮・毛細血管拡張・紫斑→長期外用による比較的有名な副作用です。 文字通り、皮膚が薄くなり、血管が透けて見え、毛細血管が太くなって皮膚表面に現れてきます。 ちょっとした外力で容易に皮下出血が生じて、紫斑となります。
 赤ら顔(酒さ様顔貌、酒さ様皮膚炎)→顔面に長期連用すると、毛細血管の拡張を伴う紅斑が出現し始めて、ステロイドを外用しても引くことがなく、中止すると増悪してしまう厄介な状態になります。

 この副作用はかなり以前から皮膚科では問題になっていて、これは一時的に増悪することを覚悟で、ステロイドを中止すればもとにもどることがわかっています。(これに関して、ステロイドを中止することは、皮膚科医の中では意見が一致しているはずですが‥) 免疫抑制剤のプロトピックはこの点を克服した、顔面に使用できる、ステロイド並に効果の出る薬剤として注目を集めていますが、これについてもあとでお話しいたします。

 多毛→これも文字通り、毛が増えます。毛深くなることですが、これについてはかなり個人差があるようです。
 皮膚癌の発生→皮膚表面の免疫を抑えるために、紫外線による皮膚の細胞の遺伝子損傷を修復しにくくする可能性から言われていますが、はっきりした統計は出ていません。 さてさてまだ続きます。

Vol.49(2002.11)

ステロイドのデメリットの続きですが‥ 
白内障→ステロイド性白内障とアトピー性白内障があります。ステロイド性白内障は点眼と内服において報告されていますが、外用ではまれであるとされています。

アトピー性白内障は15〜30歳で発症し、ステロイド外用剤の開発前から約10%の発生率があり、その発生率に変化がないため、ステロイド外用剤によるアトピー性白内障発生への影響はほとんどないと言われています。逆に、アトピー性白内障の発症には局所(水晶体の近く)の好酸球浸潤がかかわっているという報告があり、易感染性のところで触れたように、ステロイドなどで皮膚炎をコントロールすることで発生を抑えられるという意見もあります。
しかしアトピー性白内障は、顔面にほとんど皮疹を認めない人でも発症しており、アトピー性白内障の発生にはまだわかっていないところがあります。ちなみに、アトピー性白内障は水晶体の前から、ステロイド性は後ろから混濁し区別されます。

緑内障→これは点眼・内服に加えて、眼瞼部へのステロイド外用でも生じます。生じる時は数週間の内に眼圧亢進(角膜と水晶体の間にある空間に前房水という液体がたまっていて、その吸収が悪くなってそこの圧力が高くなることです)とともに発症します。もちろん全ての例に生じるわけではありません。

色素沈着→非常によく聞かれることですが、外用そのものが原因となり色素沈着が生じるということは証明されていません。多くの場合は、長い期間繰り返された炎症状態が消褪していく過程で(紫外線の吸収もからみつつ)色がついてしまうようです(強い皮膚炎が中々治らなかった人は、ステロイドを使っていないのに、色素沈着を生じている場合があります)。

また、内服を併用したり大量の外用薬を長期に使用したりした時に、(このあとに出てくる)副腎機能の抑制が生じた場合は、アジソン病と呼ばれる副腎不全と同じメカニズムで色素沈着が生じることもあります。この場合も含めて、皮膚のコンディションがよくない時に生じる色素沈着は、黒っぽく紫がかって見えることがあります。

この色素沈着は消褪するのにかなり時間がかかり、炎症が繰り返される限り続くことがあります。これに対して、紫外線治療に反応して皮膚炎がおさまりつつ生じてくる場合や、紫外線を用いなくてもコンディションがよくなって色がついてくる場合は、いわゆる「日焼け」のような茶色が基調となった色になります。これは皮膚が「強くなった」と表現していますが、いい意味での色素沈着であると理解しています。
この色素沈着は浅いところで生じているため、消褪しやすいものです。
さて、次は「副腎」とのからみです。

Vol.50(2003.01)

淡々とステロイド外用の副作用について述べております。 続いて問題になるのが副腎不全。
 これはステロイドの長期内服においては必発ですが、外用ではどうか? 成人においてはstrongクラス(リドメックスとかリンデロンVとか、まあ真ん中ぐらいの強さ)を1日20g(5gチューブで4本)単純外用で副腎抑制が生じうるとされています。 

そのためか、アトピー性皮膚炎におけるステロイド外用は1日10gまでと言われています。 ただし、10gならいつまで塗っても副腎抑制が来ないのかというとそうではなく、長期連用により副腎抑制をきたしうるとされており、個人差はありますが、年余にわたって外用を継続(1週間以上休薬することがない)している場合は、多かれ少なかれ副腎抑制がかかっているものと思われます。

 ただし、副腎不全となるかと言われると? 外用使用中は機能を代償されているわけで、突然の中止により身体を維持することができなくなるかどうかがポイントです。
 ステロイド外用を中止した人の尿を調べて、副腎からホルモンが出ているかどうかを見てみますと、今までに少数ですが、正常より低くなっている人がいました。
 けれども、生命維持のために、ステロイドを緊急に投与しなければならない人はいませんでしたから、重症な副腎不全になる場合は少ないと考えます。

 ただし、ステロイド中止後、中々体重が増えなかったり、倦怠感が続いたり、前号で書いたアジソン病に似た色素沈着が生じたり、副腎への影響は重篤ではないにしろ、生じるものと思われます。 
これはステロイドの外用がわずかながら血中に入って作用していることを示しています。
 これに関連して、満月様顔貌、高血圧、糖尿病など、ステロイド内服にて生じる副作用も理論的には起こりえますが、実際は満月様顔貌以外、あまり経験しません。 さて、「リバウンド」「依存」「効果の減弱」「廃人になる」など例をあげましたが、これらは本質的な問題を含んでいますので、慎重にみていきたいと思います。

(50号の記念にこの章を終わらせたかったのですが‥ 一番言いたいことは次号以降にさせていただきます また前みたいによーけ書くかもしれません そうなってしまったらお許し下さい)
 ではまた。



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